糞をほぼ全部漏らしてからが大人だということ【漏らし体験記】

わかっておいてくれ

出オチだが表題の通りだ。「人生、糞を漏らしてからが大人」という認識は持っており、泥酔の果てに凍てつくとある冬に脱糞してからは酒を控えているが、いよいよ大人だなという自負はそれなりにあった。そこからさらに私も35終盤に差し掛かりやっと「人生、糞をほぼ全部漏らしてからが大人」という境地を開くことができましたありがとうございました。

以前ブログにも書いた通りだが、ギャンブル依存症の父を抱え、機能不全家族で育ち、中年に差し掛かり悩みも深くなってまいりましたhaha。という状況が続いていたけれど、長年悩み続けていた核となることが解決し、私は私でいていいのだと誰に頼るでも依存するでもなく、自力で自分を取り戻せた自信となんともいえぬ表現しがたい幸福感に包まれる今日このごろ、

腹の底から幸せだと人間ブログなんてかかねぇのかもななどと思うほど、煮えたぎるものや書きたいという欲がなくなってしまっていたのだけれど、昨晩友人と晩飯を食べた帰路で地下鉄に乗っていたところ、どう考えても乗り換えまで間に合わないだろうという肛門からのSOSを察知し、降りたこともないわという国会議事堂前駅で緊急下車し、何食わぬ顔でホームを歩きながら漏れ続ける糞を抑えきれず、こんな溢れ出る勢いは中学1年生の時に不良の前田先輩に抱いた恋心以来だわと思いながら、過去最大の肛門の危機を感じ小走るも、着地のたびに漏れ出(いず)る糞。

あぁ神様仏様、どうかあと一刻で構いませんので私にせめて女の、否、人間の尊厳を保たせてくださいと切に願いつつも、やはり小走るリズムと同じタイミングで漏れ出(いず)る糞。しかも重みまである。頭の中で必死に考える。どのスピードと歩幅で走り抜けるのが聖地、否、便所までの最適解なのか。

持ちうるアイテムから算出するのが大人

散々マネジメントもやってまいりました。最適解という言葉には非常に思入れもありまして、各々の尺度や場合によっては思想なんぞも絡み合い、推測じゃなく事実だけを言えやとキレながら最適解を模索してまいりいました人生です。

中年にも差し掛かりますと“勘所”という第六感的なものも働きまして、導き出した最適解によりプロジェクトの炎上などは最小化することができた仕事人生ではなかろうかという程度のわずかな矜持もございます。

さて、すでに盛大に漏れ続けていてアナルの緊張感を取り戻せない現在、どのスピードで走り抜けて便所へ行くのが最適解なのか。

瞬時に思案した結果、とにかくこれはヤベェということで、国会議事堂前のホームを全力疾走し、パリっとしたスーツに身を包むお国関連の仕事をしてるであろうサラリーマンの群れを逆走し、便所へ駆け込み下着を下ろしたもののストッキングが干渉し、もはや便所に駆け込んだ意味あったんか?という放糞インザパンツ。

あまりの放糞具合に呼吸を整え意識を保つ。「私は生きてる。私はここにいる。」こんなことを目を見開きながら思うと冷静になれますので、人生ハードモードの際はぜひに。あまりの有事に、今は第二の人生を歩む安室奈美恵氏もこんな風に言ってったっけなどと脳内で音楽が流れる。

🎵ほーふーん(イン)ざパーンツ <a walk in the  park >

ひーとりーきーり

ふーたーりとーは

ちがーうけれーど〜

ほーふーん(イン)ザパーンツ <a walk in the  park >

小学生時代に安室全盛期だった小生はこの曲で運動会を謎に踊らされたこともあったっけか。あの頃のアナルの引き締まりはもうない。

それがアナルセックスを17歳で仕込まれたからか、酸いも甘いも経験したら今宵チャクラではなく間違えてアナルが開いてしまったのか、何が原因かはわかりかねるのだけれど、とにかくそういうことだ。

いいかZ世代たちよ。恐れよ。震えろ。これが「大人のアナル」ってもんだ。残業や人間関係や上司について多少愚痴ったっていい。人生に腐る時期があったっていい。でもな、本当の人生は糞をほぼ全て漏らしてからが始まりだからそれだけは覚えといてほしい。

翌日36の誕生日を迎えた。大人の階段おめでとう。