好きな服を着て、好きなもん食って、好きな髪にするンダ【ルッキズム/野呂佳代と福田萌子から思う"自分"と"女の強さ"について】

筆記するんだ

久々に衝動を取り戻した夜なのでこれを書くことにする。今宵の筆記ソングはBONNI PINK氏の「泡になった」でござる。泡になりたい。そう思う夜は破滅的でも大抵良くて、そういう衝動性は中年すぎると滅多にこない。大事にしたい。

youtu.be

「脱糞ヒストリーとは信頼の証である」そういうようなことを言いたい。そもそもなぜPV数がちょっとずつ伸びてるのか謎なこのブログではあったものの、前回の↓この記事で中年脱糞体験を書いたら、PV数が急にほぼ0になって、ちょっとホクホクしたりした。誰もついてこないでくれ. 私のマグマは私のものだ. そんな支配的な気持ちになることがある。

elisabane-g.hatenablog.com

脱糞それは信頼できる人間か否かの閾値

そもそもおかしかったのだ。ぼちぼちPV数が伸びるだなんてことが。エラー値が正常値に戻るときの安堵といったらない。ないぞ。それでいいのだ。今月なんかは月次PVが100を超えたなどとハテブ先生がおっしゃってるではないか。エラー値なのだ。

広告的に、「あら、この人、家の購入を考えているのね」そんなことを推察されたって全然構わない。スクショを堂々とみせていきたいし、脱糞ヒストリーを語ってゆきたい。できたら対峙して間もない間柄で「あの、つかぬことを伺いますが、脱糞経験っておありですか?」と、相手が信頼できる人間か否かをはかる意図を込めて、なるべく早い段階で誠実に聞いてゆきたい。出先での脱糞、それは信頼の証である。

だから私はどれほど時代は移り変わろうとも、流行が変わろうとも、臆せずなるべく正確にそして描写的に、脱糞経験を語ってゆきたい。そう思う。今まで会ってきた人々も、特に仕事関係者においては、脱糞経験を自らさらす人間は、確実に信頼できる仕事をしたし、脱糞すらしたことがない人間に、喜怒哀楽なんぞ語れるのだろうか。その言葉は相手の心を震わせられるのだろうか。そんなことを思う。

物事を単一的かつ断定的に語り、失望を隠しながらイキる奴らに言ってやりたい「お前は脱糞経験はあるのか?それはどの程度なのか?半分なのか全部なのか?」「お前は出先で脱糞及び放尿をしてしまい、雪の降る凍える玄関外で、不条理を酒に溶かしてしまったポヤポヤした頭でありながらも号泣するような、そういうどうしょうもない経験はないのか?」「どうしょうもない経験がないのに、人の喜怒哀楽の原因についてとやかく言えるのか?」

声を大にして言いたい。

一番ひどいルッキズムはいつも自分の中にある

さて、序章がかっこよく決まったところで、本題に入りたい。ルッキズムって嫌よな~などと、人並みには思っていたし、気を付けていたつもりでもあった。しかしどうだ。程度も段違いなくらいの酷いルッキズムが、自分の中に眠っていたではないかということについ先日気づいてしまった。つい先日の話だ。

私は過去ブログにも記載してるが、機能不全家族で育ち虐待を受けて育った。当然自己肯定感なんぞは存在せず、たゆみない努力と、引くほどの諦めの悪さと、僥倖としかいいようない事柄が様々重なり、奇跡的に昨年(35)にして、自己肯定感っぽいものというか(正確にはそれは幼少期に完成するので、ないものはないので、全く別の何かなのだろうが...)、とにかく私は何がなくても生きてていいのだという確信を得た。詳細はここでは割愛するが、それはもう、モノクロの世界に色がついたような世界線で、こんな世界線で概ねの人が生きてるなら、もっとみんな頑張れよなどと、ニートは思ったりした。

何が言いたいかというと、そんな具合だったので、10代の頃はそれなりに自殺をしたり拒食をしたり完治不可と言われるレベルの鬱をやったりして、なぜか奇跡的に今がある勢なのだけども。だから、体重の増減は激しい。minで30キロ代。maxで70キロオーバーもある。拒食もやったし過食もやったことがある。

30くらいで間違えてGAFAMのどれかに入社してしまって、ワーカーホリックになって初めて過食を経験した。拒食の頃、あれほどいいなと憧れた過食が、これほどしんどいのかと驚いた。常ではあるが、見えるものと感じるものは全く異なるものだ。そして育ての親の祖母が死んで、アイデンテティがないこととようやく向き合い過食を脱出し、そこからダイエットに試みたが全く落ちず、今はBMI値がイエローに触れるや否やという界隈で生きている。

服はどれもこれも着られない。着られないから外に出たくなくなる。否、変わってしまった自分が嫌で、受け入れられなくて、だからといって行動に移せるほど元気ではなくて、そうしてこの数年はなんだか人と全く会わなくなった。太ったねと見た目をいじられるのがしんどいからもある。しかし、いじらざるを得ないほど、太ったのもわかる(笑)。そんなこんなで、気づかず自分の心中に巣食ったルッキズムは根深くなっていった。

椎名林檎様のリリースラッシュと美貌

さて、我らが椎名林檎様がアルバム発売という名の新曲リリースラッシュをされた。どれもこれも名曲すぎて、頭おかしいんじゃないかと思っている。そしてこのビジュである。

椎名林檎ともも - ほぼ水の泡 - YouTube

こんなんが、45歳のデフォだなんて思われたら困るのだ。線上降水帯が東日本にかかる夜、林檎様のリリースラッシュもあり、災害を感じる雨音に不謹慎ながら少々心躍りながら、MVを何度も再生した。スクショをオパーイに拡大したものを兄に送り付けた。「こんなんが、45歳やと思われたら困るぞまじで」兄はこう返した。「この豊満な有り余る肉体は、ちゃんと活用されているのだろうか?」・・・・しらん。キモい。キモなのじゃ。そんなことを思った。

とにかく、生物としてかろうじてヒト科であるとか、分類としてかろうじて女であるとか、そういうレベルでしか共通項が見つからず、曲もMVも見事なのだけど、なんだかアガりきれずに、豪雨で外に出られないからと言って、トーストにコーヒーをぶち込んで無理やり脳汁を出したりした。

福田萌子という権化

こんな夜はバチェロレッテを再視聴したいよな、などと思い、萌子様の伝説回をエピソード1から視聴し直すなどした。バチェラー、バチェロレッテといえば、恋愛バラエティショーで、何をそんな低俗なと思われる方も多いかと思うが、バチェロレッテのシーズン1だけは、どのような番組よりも、どのような密着ものよりも、素晴らしい作品なのでぜひ食わず嫌いせずにご視聴いただきたい。かくいう私も、オンエア当初はワーカーホリック全盛期で、兄弟がこれについてLINEで語ってるのを見て、何言ってんだかと思ってたが、視聴したらもう感動がつまりすぎててやヴぁかった。

言語化するのも野暮だけど、台本に一切踊らされず、恋愛バラエティというチャラけたジャンルにも一切収まらないという確固たる意志と、そのような意志を持たずしても溢れでてしまう萌子様の気品と強さと"これで生きてきた"という矜持。発する言葉すべてに重みがあり、どの言葉とっても小説にできうる深みがあり、それほど考えて乗り越えて生きてこられたのであろうという推測すらチープでなんの意味も持たない。そういう作品である。

さて、ニートですので全て視聴を終えましたら、余韻に浸りながら萌子様の記事を読み漁った夜半。線上降水帯なのだから仕方ない。

萌子様はこうおっしゃっている。

mdpr.jp

あの旅が終わったときに思ったのが、1人だったら自分がどれだけ愛情を持っているかは分からなかったじゃないですか?自分だけ見つめていても相対する人がいないと分からない。17人のユニークな男性を通して自分を知ることができたし「私って、自分が思っている以上に愛情深い人なんだ、色んな愛の形を持ってるんだ」と皆が気づかせてくれました。それぞれへ愛を持って接していたし、本当に今でも皆のことを愛しているから。

ちょっと何言ってるかわからない(褒めてる)。

意見を言うことはとても大切。配慮と尊重と相手を思いやる気持ちを持った上で、意見を伝え合ってお互いを受け入れること。そして言葉の大切さ。「バチェロレッテ」の私を観て少しでも何かを感じてくれる人がいるのだとしたら、それが私が成し遂げたことなのかな。

この記事も紹介したい。

以前、生死をさまようくらいの交通事故に遭ったんです。だけどその時も「この経験があるからこそ、また運動ができるほど回復した時に、同じような経験をした人の気持ちに寄り添える」と考えていました。

どんな辛い状況の真っ只中にいても「この経験が次の自分をつくる、私はもっと強くなるんだ」って思ってる。いつだって今日の自分より、明日の自分のほうが経験値が多いから。

ローズセレモニーで『もしも明日世界が終わっても、、、』と同じルターの言葉で『”今じゃなくても”がやらなかったになるのは実に早い』という言葉をおくってスギちゃんを抱きしめました。

こんなこと、言えるだろうか。恋愛バラエティである。軽んじられるジャンルである。でもここまで言えるのは萌子様が萌子様だからだ(語彙力) とにかくアマプラで見てくれ・・・。特にこのルターの引用で『”今じゃなくても”がやらなかったになるのは実に早い』この言葉は非常に重かった。これらの萌子様のお言葉を通して、外見だけでない内面の美しさと、何より「強さ」に再度胸を打たれる。大抵、自分は強く生きてきたと思ってきたけれど、いまこのY字路に立っていて、足が正直震えてる。震え続ける1年を過ごしたんだと思う。

萌子様、妊娠なさる

ネタバレだが、その後パートナーを見つけ、ご懐妊され、結婚を選択されずに(なんならそのパートナーとも別れて)おひとりでお育てになっている今日この頃。ネットフリックスで連ドラ「ブラックリスト」を視聴しながら、殺し屋がやりあうシーンを見つめつつ、インスタでこんな一枚を見つけた。

ブチあがっている。これ以外に適切な形容はあるだろうか。誰が見たってブチあがっておられる。これは萌子様がドレス素敵でしょ?という趣旨の投稿だが、ご懐妊中にこのドレスという点も、ドレスのデザインという点も、もうぶちあがってる、どうかしてるだろ(褒めてる). どうかしたいな。そんなことを思っていた矢先だった。

野呂佳代という着地及び、人生のさじ加減

何が言いたかったかというと、そういう「太ったから自分はもうダメだよね」という呪いを深くかけていたのは自分自身であって、それにふと気づいたのは野呂佳代様のインスタを見つけてからだった。

最近、ドラマや映画でもいい演技するよな~昔の卑屈っぽさがきれいに全部なくなってしまったよな~などとボチボチ思っていたけれど、最近のお顔を拝見するに、それがさらにズバ抜けていて、ハっとした。太ったら何がダメなんだろう。痩せられないと何がダメなんだろう。強烈なダメの烙印を押してたのは自分自身であって、それは世間ではなかったのだと。どうしてこんなことに気付かなかったんだろうと若干動揺したりした。

太ってたってかわいい服を着ていいし、サイズアップして買い直して、気分がぶちアガルことをしていいんだと、ふっと自然に納得がいって、長らくむしゃくしゃしてたものが落ちた感じがした。

この二年程、美容室を変えに変えた。予算度返しで、カットがとにかくうまいところを探すんだけど、一回目はうまいと感じるものの、結局、美容院が儲かると他の事業に手出しする美容師ばかりで、手出しするともれなくカットのクオリティが下がった。価格を本業であげてもらっていいから、頼むから本業に集中してくれと残念でならなかった。

先日、n箇所目の美容院へ初めていった。口コミを見てのことだったが、結果としては最悪のデザイン・髪色にされるばかりでなく、気持ちの悪い不倫話を聞かされ、エロくもなんともねぇセックス話を、いかにもエロそうにして話してこられて、嫁抱かずにしょうもない女と下手なセックスばっかしてっからこんな仕事ぶりになるんだぞなどと心底見下すほど、どうしょうもない髪形になった。

何より困ったのは、とある重要な役員面接を控えていたから、髪色はおさえてほしいとオーダーしたのに、明らかにまずいレベルで明るくなってしまったのだった。髪色のせいにするわけではないのだが、結果は落ちた。相当自信をもって挑んだのだが、直前まで自分の髪形が気に食わないことと、髪色が明るすぎることが気になって、気になるたびにしょうもないセックス話がちらついて、嫌悪がよみがえった。

人生さじかげんだよな。スピリチュアルは一切信じないが、仮に仏とか神とかそんな存在があるのだとしたら、こんな重要な面接で落ちるとか受かるとか、そんなんしょうもない大したことのないことって、パワーもさして使わない、さじかげんの範疇なんだろうな。そんなことをボンヤリ思いつつ、転職エージェントの不手際も重なって、なんともいえぬ感情がわいてきたので、飲み込むようにしてなるべくボンヤリしたのだけど、どこかでこう「いい兆候だぞ」みたいな確信があった。

その矢先、数年間ずっと、求人が出るのを待ってた企業が、急きょ求人することにしたという情報をSNSで見かけたのがさっきのこと。こういうことだよなと思う。野呂佳代様を完コピして、気分のアガる洋服を買い直して、気分のアガる髪形に別のところで明日切ってもらって、気分をアゲて生きていいのだと信じながら、気分がアガるように笑顔で生きてやろうなどと思う夜半の意志は泡にならない。

せっかく生きてていいのだとわかったのだから、めちゃくちゃ幸せになってやろうと思う。誰よりも楽しく、誰よりも腹抱えて笑って、うまいもん食って、素晴らしい仲間に囲まれて、このやっと立てたゼロ地点から、ゆっくりでいいからたくさんのプラスを作ってゆきたいと思う。