過食の果てとダイエット

体重推移

ここ最近、断捨離というほどでもないかもしれないが、とにかく物を捨てまくっている。紙が嫌いだ。何かの勉強をするとき以外は紙は使いたくない。ということで紙も捨てまくっている。

さて、断捨離の中で過去在籍してた企業での数々の健康診断結果を見つけて目を疑った。ほんまかと思った。

この数年、著しく巨大化した自覚症状はあった。ストレスから夜眠れなくなったことや、眠れないっていうか夜中3:00とかまで仕事をする日が続いてたことや、夜中に食べることが増えたことや、ルーティンだったジョギングをやらなくなったことや、過食をやめられなくなったことや…。まぁ全部やろって気がするけど、これらが起因して見事に驚くほど巨体が仕上がった。

健康診断結果を集めると、どうやらこのたった3年で22キログラム太ったらしかった。巨大化したなとは思っていたがここまで短期間に増えたとは…。

10代の頃にズブズブの鬱に罹患したことがあった(2年ほどで寛解。再発なし) 親や家庭環境が大きく影響しているようだった。17で家出してた私にカウンセラーや医師は「根本原因を排除しないとここまで悪化した鬱は治らない」などと言って、私に実家へ帰ることを何度も勧めた。

バカ言えと思った。あんな牢獄に戻るくらいなら死んだって1人で生きてくぞと固く決意していた。だから今の医療基準だと絶対NGなガバガバな量の薬を処方されるがままに飲み、レジ打ちのバイトを何個も掛け持ちしてなんのために稼いでるのかわからなくなりながらなんとか生きていた。

当時拒食だったので、医師は太らせようとして(…というか死なれたら困るので太らすのが一般的な治療スタイルなのだが) 過食の副作用がある薬を処方し続け私もそれを飲み続けた。当時、家の近くにミスドがあり、踏切を渡って酸化して安くなったミスドを大量に買い占めては胃につっこみ、短く儚い幸福感を得たりしていた。

その頃は2年たたずして30キログラムは太ったと記憶している。こりゃやばいと思い止める医師を無視して断薬し(急な断薬はおすすめできない)、当時流行っていたビリー隊長のもとへ入隊し、1年で25キログラムほど減量に成功しヘルシーな身体を手に入れたのだった。

ルッキズムとくそ童貞ちんぽこ野郎

つまり、ここまで巨大化したのはあれ以来で、やばい薬も飲んでいないのにここまで巨大化したことに心底驚いているのだが、大きくなってしまったものは受け入れるしかしょうがない。

よかったなと思ったのは、人間しんどいとどのように過食して辛くなっていくのか?ということを身をもって理解できたことだろうか。「ルッキズム」という言葉は最近浸透し始めた体感だが、あれは本当によくなくて、自分の管理外に痩せたり太ったりしていくことの辛さがわからない幸せな人間が、人の痛みを想像できずに息を吐くようにして誰かの外見についてとやかく言うものだという理解だ。

腐れ縁というか、高校の頃に知り合って最近やっと縁を切れた謎の知人がいた。そいつは昔から何かとうざくて「人の痛みの想像できない人間の極地」みたいな人で、毎回私がブチギレてLINEやFacebook等々のツールでブロックをするのだけど「携帯変えました」とか色々な抜け道を探して一定期間ごとにケロっと連絡してくるので、気持ち悪いを通り越して逆にここまで“変な人“って稀有だから付き合い続けたらおもろいんちゃうか?…という常におもろさを探してしまう関西人の悪い癖が出てしまい「腐れ縁枠」として一応人付き合いを続けてみたのだが、どうにもやっぱり無理だった。

私のこの巨大化に対しても「昔は広末みたいやったのにな…デブになってしまって…笑」みたいなことを、私が精一杯出す嫌悪感を一切無視して何度も言ってくる頭の狂い具合で。まず、広末を出してくるあたりがめちゃくちゃキモい。おっさんだからしょうがないのだけれど…とおばさんがいうのだけれど(底辺VS底辺!果てなき戦いが今ここに)、高校時代からずっと思ってたけどお前絶対童貞やろ?!このくそ童貞ちんぽこ野郎が!…と喉まで出かかるも、私は品行方正なのでグッと堪えて言わなかった。偉いのだ。

まぁとにかく、そのようにして外見を執拗にいじる人間は一定数存在して、そういう輩にうんざりしながら、良いリトマス試験紙だなとも思い外見の変容はそういう角度でいえば非常に便利だった。そして何より、過食の辛さについて知見が溜まってよかった。(もう味わいたくはない)

静寂のエニタイムフィットネス

太ると体も脳みそも重くて仕方がなくなるし、こりゃそろそろ痩せないとなという意識が芽生え「痩せたいな」という願望が出てくるまでに精神が回復してきたので、ここ1ヶ月くらいはエニタイムフィットネスに通って8キログラムくらい落とした。(あと12は落としたい)

約1年ほどだろうか。ほぼ通っていないエニタイムフィットネスに課金し続けた。痩せなきゃという気持ちはあったので契約したものの過食をやめられなくて通わない日々を過ごしていたのだが、ここで解約したらきっと一生痩せずにタプタプの状態で介護士の方々にご迷惑をおかけしながら巨体を介護してもらう未来像が見えていたので、意地でも解約しないぞという謎の精神状態で課金し続けていた。

この1ヶ月やっとエニタイムフィットネスにかなりの頻度で通えるようになり、エニタイムフィットネスの素晴らしさに気づいた。

まずみんな実直に自分のトレーニングをしていて素晴らしい。ムキムキの人はデブデブの私がトレーニングしにきても、軽蔑の目で見つめてくるとかもないし(や、めちゃくちゃ深くキャップを被って狭い視界でトレーニングしてるので、もしかしたら軽蔑の目で見られてるかもしれないがw)、みんな他人には目もくれず黙々と「自分のすべきこと」をしている。これが非常に気持ちいいのだ。

心理的安全性などという言葉がGoogleを発端に一人歩きしてるが、真の心理的安全性とはエニタイムフィットネスのことなのだよ。

真夜中のエニタイムフィットネス

エニタイムフィットネスはなんと言っても24時間やっているのがいい。どれほど家でうなだれていても「私にはエニタイムフィットネスがあるんやぞ!」という強い気持ちになる。それだけで安眠できる(行けよ)。

つい先日も「もう自分なんてダメだぁぁぁぁああああーーーーー」…な精神サイクルに入ったのだが、溶けそうなほどうなだれながらなんとかエニタイムフィットネスへ辿り着き、数キロ走って軽く筋トレしたら恐ろしく精神が保たれた。脳みそから快楽物質が出るのを如実に感じる。そして夜中に流石に誰もいないだろうと踏んで行ったら、しっかりとムキムキマンらがトレーニングしてて、なんだか神聖さすら感じるなどした。運動は偉大だ。

自分になる

親の呪縛というものがある。これから逃れようとして逃れられないと感じてる人も多いのではないだろうか。私もそのひとりで、その経緯はおいおい書きたいのだが、中年になってさらに「親の呪縛が脳内で暴発する」感覚があって、どうしたものかと途方に暮れぎみだった。

自分の体のようで自分のものじゃない。自分の精神のようで自分の精神ではない。こんな感覚、常人にはわからないだろうなと思う。しかし仲のいい友人らは似た人が多く、似た感覚を持っているようなので、やはり親との関係性に幼少期から問題があるとどうやらこんな感覚になるらしいという情報だけが私をなんとか安堵させていた。仲間や共感の安堵でしばらく現実から目をそらすことはできても、生きづらさを消すことはできなかった。

私は今ニートをしている。労働という暴走列車から飛び降り自分と向き合うためだ。

非常にしんどい作業だが、今まで目を向けてこなかった「自分」というものに初めて目を向けることができ、自分はいったいどういう生物なのかが少しずつわかり始めている。親や家族ではなく「自分」のことを考える時間が増えたことで、誰のためでもなく自分のために人生の選択をしよう。とか、自分が心地いいと思えることをしよう。とか、そういうことを思えるようになった。生まれて初めてのことだ。ちょっとずつ、自分に体や性質が自分のものになっていく感覚が嬉しい。

そして神聖なエニタイムフィットネス様のおかげで、自分の体もやっと自分のものだと思えるようになってきた。これでもうちょい軽くなればもう少し自分の体を愛せるかもしれない。そんなことを思う昼下がり。ケーキがうまい。