自分に起こった出来事全てをアイデンティティにする方法:人間は“運命”を覆せるのか

記憶と音楽

髭ダンディズムのstand by youを聴いている。痺れるように冷え込む明け方に、起きたての陽光を浴びながら、頑とした決意でこの曲を聴きながら目的地へ向かうのが好きだ。

標題の件、結論としては「全てに責任を持つと決めて一歩踏み出す」というごく当たり前のようなことだという結論に至っている。

私は中卒だ。様々端折るがこのような経緯もあり、機能不全家族で育ち、学歴も金も経歴も何もない中で

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様々な困難にまみれながらも憧れの世界的な有名企業に正社員として入社してみたことが数年前にあった。私も若かったのか、いつかみんなからすごいと言われる企業に入って何かを見返したいと思っていた。(のちに気づくが自分は自分でしかなく、評価できるのも自分でしかないということにこの頃は気づかなかった。)

それはthe forthのうちの一社だった(日本でいうところのGAFAM)。まさか入れると思っていなかったけれどコロナ前の転職特需が効いたようだった。転職なんて99パー運だ。

でも蓋を開けたら待ち受けていたのは初日からパワハラのオンパレードだった。それは全然愕然の入り口でしかなくて、毎日毎日何に耐えているのかわからないまま、吐きそうになる通勤の朝にこれを聴きながら(当時は疲れ切っていて難しい日本語や英語の曲を聴けず、水の音とかばかり聴いていた。唯一聴けた言葉のある音楽はわかりやすい日本語と明るめの曲調の髭ダンディズムだった)強い気持ちをなんとか捻出して、日々労働にしがみついていた。

あの頃「何かが明らかに違う」と気づいているのに、「世界的に有名な企業で働いている自分」というしょうもないプライドを捨てられなくて、パワハラこそあれど対価をもらっているにも関わらず心では不満を垂れ流しているカッコ悪い自分を直視できなくて、どんどん自分や他人や社会が嫌いになった。

それでも山のように降ってくる仕事や問題を捌くしかなくて、立ち止まることも泣くことも降りることもできず、全てに対して面倒臭いと思いながら、ヘラヘラと張り付いた笑顔を捨てられなかった。

だからこれを聴くとギリギリの時の気持ちと「あの時耐え続けた」という謎の誇りが戻ってくる。そういう曲や場所ってあると思う。

それは後悔すべき事案ではない

いまの自分が同じ環境に立たされたら、きっとうまく乗り越えられるだろうなと思う。他者に何を言われようが揺るがない強さがあるし、蘇るトラウマもないし(あるだろうけど飼い慣らしたし)、過去そうだったように他者から刃物を突きつけられたら、ほんなら私は斧でいきますわ、とか、ほんならブルドーザーで一掃したりますわ、とか、相手への明らかな怒りを平然とあらわにできるほど元気も図々しさもある。

それゆえに「あのときもっと頑張ればよかったかな…」などという気持ちがよぎることもあるんだけど、やややや、待て待て!と思い直したりする。いま私がこうして強強の心身を手に入れられたのは、あれも含めて様々経て、自分と思い切って向き合って、決別すべきものと決別したからであって、あれがなきゃ今の結果がないから、あの時は明らかにもう「頑張れなかった」んだよと。そんな不毛な自責をするのはやめようよと。

人は自分以外のことに関しては好き勝手言う。それは「自分のことではない」からだ。だから前述の企業を退職するか否か悩んでいたときも「もったいない」という言葉を多数かけられた。そのワードを聞くたびに正直うんざりした。でもそこには「自分のことが自分で決められない」という、そもそもの自分の課題があって、他者に意見を求めてしまったがための当然の果報である。うんざりするなら聞かなきゃいいし、そもそも自分の岐路で人に意見を求めてはいけない。雑味が加わって自分の決断の純度が下がるからだ。

純度が下がると、課題にぶつかった時に他責にする余地がある。自分の人生の責任を自分で取ろうとできないことは、すべての敗因に繋がってしまう。だから、辛くても苦しくても、自分で最後は「完全なる自分の意見」として決めないといけない。

全ての土台は“母”だった

決断力や自己肯定感は幼少期で決まる。7-8歳を越えて、再形成されるだなんてことは「ありえない」と私は思っている。もちろん「似たようなもので補完する」ことはできる。できるというか、それらが残念ながら身につく家庭環境で育たなかった人らは認知や思考や習慣をトレーニングして、補完したほうが絶対にいいと思う。

これを書く前に、親には大変感謝しているし両親との関係性は大変良好であるということを添えておくし、それとこれは全く別次元の話だという前置きもしておく。

私は母を嫌悪して生きてきた。複雑な家庭環境で育ち、中でも母は2度と関わりたくない類の人だった。いつも感傷的で他責で主体性や明確な指標もなく、子供にも息を吸うようにして愚痴をこぼすというか言いまくる母だった。(当時5歳の私に、父(母にとっては旦那)が会社の人間と不倫してて母さん辛いと号泣してくるようなレベルの悲惨さである。私はそれを含むたくさんのことが大人になってからもフラッシュバックして、大変辛い時期を過ごした) 

いったいどのように親を尊敬したらいいのか?人として尊敬できない人が親の場合にどうしたらいいのか?なぜ親を尊敬せねばならないのか?そんな解決の見通しも立たぬ問題を子供時代に抱え続けていた。

今思い出しても嫌悪感しかない出来事に対して嫌悪を示すと、母は決まって「出ていけ」「お前を育てるのにいくらかかったと思ってるんだ」と私を罵倒した。経済権を握られている以上、私の生きる術としては「相手の機嫌を伺う」「空気を読んで相手が気持ちいいであろう言動をする」ということしかなくて、特殊能力のようにそれらを身につけて、大人になってから今度はその特殊能力のおかげで苦しんだりもした。

高校に入ると私は、恐怖とストレスから、親と話すときに「吃音」が出るようになった。さらに言葉を続けようとすると涙が出て話せなくなる。その吃音を母は、恐ろしいものでもみるように見つめていた。もう全てが限界だった。だから高校を中退してキャリーバッグ1つに荷物をまとめて家出をした。そこから都内の某駅のマクドナルドで暖をとるホームレス生活を続けた。

だから最近話題の「トー横キッズ」的な人たちの気持ちがよくわかる。や、時代はあの頃より圧倒的に悪いので、いまの方がよっぽど辛いだろうしわかると言ったら語弊があるかもしれないけれど…。親を嫌悪しかできず、殺したくなる気持ちもよくわかるし、手にかけてしまうかどうかの差は「運」としか言いようがない。そのぐらい僅差なものだから、親殺しのニュースを見たところで別に驚いたり感情移入することもあまりない。私にとったらあまりにも身近なことだからだ。

母は少しずつ変わってる。でも根底は根深くやはり変わらない部分もある(けれどまぁそれは私だって同じことだ)。核となる部分について、変わる可能性はあると思っているけれど、現状はそんな具合だ。愚痴っぽさは健在で、父に精神的に依存してしまうところもある。どうにかしたいと思うからいろんなアプローチをしているけれど、そう簡単にはいかない。でも諦めるのも切り捨てるのも簡単で、だからこそ、そんな簡単な選択は取らないと決めている。きっと母も辛いであろうとわかっているし、私にとって大事な母だからだ。

母はいつもいう。「いいな〜そんな企業で働けて」「いいな〜そんだけお金がもらえて」と。それは自分の未来と可能性に諦めている人が言うセリフだと思う。人間死ぬまで成長できるし成長していい。だからフィジカル的な限界があるもの以外は諦めなければきっとなんだってできる。自分が諦めてしまうから道が閉ざされるだけだ。

そんなことを強く思い、地面に倒れても地面に手をついて立ち上がらせてくれるのは、母が適度な嫌悪を抱かせてくれるからだ。変な境地かもしれないけれどこれは皮肉でもなんでもなく、本当にありがたいことだと最近思う。仮に母が自分の可能性を諦めて現状のまま寿命を迎えたとしても、嫌悪という反応を経て私が夢を追うのだから、これはもう母の功績といってもいいのではないかと思うし、母が夢を追えたと言ってもいいと思う。

こうして良いものも悪いものもごった煮のように鍋でグチャグチャになりながらも、生きていかねばならない人が立ち上がっていくのであれば、時代は必ずよくなるし、たとえ悪い影響を与えた先人がいても、そのことで影響を受けて良き方向に進んでいくことで未来が少しでも良いものになるなら、それは「バトンを渡せた」と表現していいのではないだろうか。

私は間違いなく、母からバトンを受け取ったのだと、最近そう確信している。こうして未来はどんどんよくなっていくのだろうし、良くしていく責務が私たちにはある。

50歳を軸に

今朝はとにかく卵だった。そういう日ってあると思う。うかうかコーヒー入れてマルチタスク状態にしてたら失敗したのだけど、まあこれはこれとして。手作りの手ゴネのパンと共に。

胃袋に気合いを入れてこの曲を聴いて家を出ると思考がまとまる。様々昨年から相当悩んだけど、その向き合う作業は大変苦しかったけど、やっぱりこれしかないと。

もし大昔のホームレスをやってた時代にうまい棒10本で1週間過ごしていたあの極貧状況に戻るのだとしたら、間違いなく50歳までだなとそう思う。周囲を見て思うけれど50超えての貧困や納得のいかない現状を招いた過程に言い訳している姿は見ていて本当にキツイ。

何より周囲の哀れみと、フィジカル的な限界が1番キツイなと思う。だからいま勇気を持って「一般的な幸せ」「他者と比較しての幸せ」から下山しきって、自分の夢を追おうと。そしてそれをある程度形にするのなら50までだと。あと15年ある。絶対に自分の人生を他責にする人生にだけはしたくない。

取り戻す

今の私の持ち物をあなたの努力の成果だと他者はいうけれど私は全く腹落ちできずにいる。私なんかラッキーと嘘と見栄に塗れていただけだと。でもいま、様々な自分のバックグラウンドも含めてアイデンティティになりつつあり、自分の人生を取り戻そうとしている。

今から15年死に物狂いで毎日夢のために努力をすれば15年後に手に入れたものは誰に何を言われようと、明らかにこれは私の努力ですと自分に言える気がする。私は絶対に人に評価を委ねるような情けない無責任な人生にしたくない。

ただ漫然と社会で生きて我慢料をもらう日々ではなく、明らかにこれは私の努力でもぎ取ったのだと言える充実を選びたいし、自分の可能性に限界を決めず、好奇心の持てるもの全てに手を出して欲張ってぜんぶ手に入れたい。そのためには、人よりちょっと多くの勇気を捻出して、毎日死闘を続ければいい、たったそれだけのこと。

未来は全て私のものだ。