震える
さてはてお久しぶりでございまする。なにってもう標題の通りでございます。最近というかちょっと前にブログに書いた通りだけども幸せすぎる。物質的な何かを得たわけではない。
ザックリ申し上げるとあらゆるアイテムがアイデンティティとして定着して、誰の評価がなくとも、何がなくとも、自分は自分であると全肯定できるようになったといいますか、近しい友人らには「人生取り戻した」と解説しているけれど、まぁそんな感じでサイコー。
機能不全家族で育ちいつも地が崩れ落ちそうな虚無感と付き合いつつも付き合いきれずに自己から逃避してセックス依存症になり家出して労働とセックスに明け暮れた10代や、両家の顔合わせ済かつ入籍直前で婚約破棄されて泣き濡れ続けた8年間や、ギャンブル依存症の父を救えない自分を罰し続けた20年間や、外資勤務時にパワハラ上司にボコボコにされて泣きながら帰宅した夜中や、いろんな汗や涙やようわからん汁たちが今となれば最高に愛おしい。毎日そういう過去との違いを噛み締めるように実感しては幸せを思う。全ては自分で作っていける。
幸せすぎるとハテブなんかは書かないわけで(ヲイ)、久々にヨイショと、若干気になる事柄を無理やり集めて書いてみている。それはそうと、久々にハテブ開いてみたら、前々回書いた「放糞」ブログに謎の人から謎の複数スター付与されてて震える。夏なのでちょうどいい涼。
気になる方はどうぞ。
パヤパヤ系ブログサイト
さてはて。いまだニートを満喫しております。こんなクソ暑い夏に、昼間っからキンキンにクーラーきかせてネトフリやらアマプラやらをソファーに寝そべり視聴できるって、こりゃ本当の贅沢というか、真の富裕層なのではないかという錯覚に陥る。そんなさなか。
某●ズリーチサイトに延々と登録し続けているのだけれど、たまにピコピコくる「カジュアル面談しませんか?」的なお誘いに対して、おもしろそうなものがあれば興味本位で話を聞いてみることにしている。あくまで知見蓄積のいっかんとして。
(ところで、アンチスピ派の私としましては、下手に占いなんぞに課金するよりかは、無料の某●ズリーチに登録をして、どういう企業からどういうタイミングで声がかかるか?をモニタリングするほうが、よっぽどいまツイてるか否か(ツイてるという基準が存在するとして)をはかれると思うがスピ界隈よ、いかがか)
さてはて。我が愛する肥溜めサークル:ハテブ様ですが、当然競合はいるもんで。いわゆるハテブ様の競合となる企業から、悪しき風習「カジュアル面談」のお声がかかることもあるもので。わたくしてき見解としての「パヤパヤ系ブログサイト」の運営会社とカジュアル面談をしてみた。そしたらどうでしょう。
小説家系の小さめ丸メガネボーイ(なお、ほぼ同世代)が登場し、画面に映るやいなや、私の磨きあがった「危険察知アンテナ」がバリ5を指す。近づいてはいけない。過去類をみないほどの危険を察知。こういうものはもう場数で、細胞にきっと染み込んでいるのかもしれない。差別ではない。勘だ。
するとどうでしょう。開始1分でやはりという答え合わせみといいますか、まず相槌が「うん、うん、うん、うん!」。しかも、大量の「うん」なのだ。そしてそれを許されるほどの年齢、もしくは貫録、もしくは滲み出る苦労、もしくは特殊な能力を持ち合わせていない、素人丸メガネボーイが、だ。
年老いたのだろうか。唐突かつ継続的なタメ語に区分できる言い回しを許せなくなってきた。許すというかなんというか、拒絶?私の身体が全力で拒絶するのをなんとか押えながら、悪しき慣習「カジュアル面談」に臨む。冒頭1分で心が折れたにも関わらず、残59分をやりきろうとする私偉い。偉いしか思いつかない。日本人の鏡。集団適応力。
そして、カジュアル面談を申し込んできた企業側にもかかわらず志望動機なんぞ糞の足しにもならん質問をしてくる。えぇい!もうやめんか!ツイッタランドでも散々、定期で炎上している「カジュアル面談のお作法」についてはもう論じるのをやめにしないか、不毛だ。まぁ今回は「劇団エリザベーヌ」として、特別に無料で志望動機っぽいことを言って差し上げよう。
するとどうだろう。
「うん」のオンパレードは引き続きなのだが、なんというか・・・赤べこくらい顔が動くのだ。左右上下に動き続ける。そこに「うん」そしてやんわりと継続的に感じる「上から目線」。なるほど。こいつがやべぇ奴なので、こいつを駆逐できるような管理者を探しているというわけですか(^^)さようならあなたは人生で二度は会いたくないタイプの人間ですこれだからパヤパヤ系課金システム付きブログサイトは大嫌いですありがとうございました肥溜めハテブをあなた達が文化として越えられる日は一生きませんハテブ大好きです一生パヤパヤ系に課金することはありませんありがとうございました(^^)
気になること
そんなことが本日ありつつ、労働現場に出たらこんなやつとまともに話そうとしなければならないのかと肝を冷やし涼を取りつつ、しかしながら最近幸せすぎたのでたまにはこういう種類のスパイスもいっか!と、20分ほど水族館の動画を無音で見てたら完全回復。ありがとうサンシャイン水族館!ビッグラヴサンシャイン水族館!
さてはて。幸せすぎることの弊害といえば、前述の通り肥溜めハテブの更新を怠ってしまうことと、何かザワつくことがあればすぐ解決したすぎて、踏むべき手順を省いてしまいがちなことなどだろうか。
日本人、手順多い。何かを伝えよう、意向を交換し合おうとするだけで、顔色伺って、へりくだる文章打って、相手のレス待って、様子見して、その上でどうしてもストレスになりうることを丁重に伝えたりする。・・・・仕事はそれでヨシだろう間違いなく。でもプライベートでそれやる必要ある?
きっと自分を完全に取り戻したからではないかと思っている。包み隠さずになるべく素性に近い自分で人付き合いをしたい。だから嫌なものは嫌と根拠を示したうえではっきり提示したいし、とりあえずいったん相手の思考なども知りたいし、相手の好き嫌いもはっきりと知りたい。時間は短いのだ。不要な気遣いをしている場合ではないのだ。
これが必要な気遣いか?不要な気遣いか?の見極めは比較的慎重かつスピーディに行っているつもりで、まぁ大抵は「不要!」とジャッジしてしまう今日この頃なのだけれど。(もちろんそれは、相手方が私の表現に対して”もう接触したくないな!”と音信不通になるリスクを理解したうえで。)
大事なひと、もしくは大事なひとになりうるひと、もしくは大事なひとになってほしいひとに対して、意思表示(それは私は嫌、それは私は良い、あなたはどう思った?私はどうしたらいい?など)における遠慮をすることは相手に失礼と思っていて。
「腹の底で違うこと思ってる」って、それ友達じゃなくね?と思うわけです。不毛すぎる。あまりに急の出来事もしくは影響規模の広いもので「あ、うん、そう思う汗」と、私も「違うこと」を回答してしまうことが稀にあるので、ないわけではない。でもそれは、遅くとも一か月以内を目安にしっかりと「実はあぁいう気持ちではなかった」と訂正するようにしている。
私たちはせっかく言葉を持っている。顔もあって、目もあって、概ねの人はしゃべることもできる。だったらそれを思いっきり使おうではないか。大事なひともしくは、大事なひとになってほしいひとに腹で違うことを思い続ける人生ってめちゃくちゃ寂しいし勿体ない。
誰も自分のことを完璧にわかってくれる人なんていないし、今後そんな人が登場することも絶対にありえない。自分は自分でしかないから多少勇気を持ってでも口にしていくしかない。裏でどうこう思ったり言ったりしながら、表ではニコニコ振る舞うなんてめちゃくちゃカッコ悪いゼ。