父が闇金に手を出して:どうしようもない私の家族の話と西村ゆかさんの本。依存症の家族との向き合い方

ブログがバズってしまって

さてさて。春になったかと思いきや寒くて、しかしニートとしてはまだ冬であることに少し安心したりする日々ですがいかがお過ごしでしょうか。のっぴきならぬ標題ですが(苦笑)、これを読もうと思ったあなたは大変稀有な方であられることは間違いありません。

前回のブログがなんだか謎のPV数をたたき出してしまい、この挙動はいったい・・・?と思いきや、天下のハテブ様のピックアップブログ?的なのにご選出いただいたようで、いやはや。大変恐縮しつつ、こちとら「徒然自慰行為」という名前でやらせてもろてますんで、自慰行為をこれほどの人々に見られるというのもなんだかな・・・という素朴な疑問を抱いていたら35日経っておりましたこんばんは。

概ね私のことを知らぬであろう人たちの場所で何かを書いていきたいと思い始めたどうしょうもないブログでして、匿名ハテブで「嘘松!」と罵られるのを夢見ているただの中年こじらせ女でありますんで、今後も決してネイチャー系ブロガーにはなりません(^^)手ごねパンネイチャー系ブログをご期待の方はいますぐの下山をおすすめいたしますどうぞよろしくお願いいたします。

父が借金依存症で

ということで、のっぴきならぬ標題について片付けましょう。この夜分にいてもたってもいられない気持ちで、目をはらしながらポシュレを流しながらこれを書いている。東京はとても寒くて。

どこかの記事に書いた気がするが、父は借金依存症である。その確信に至ったのは約7年前。ほぼ確信めいたものを何十何年も抱いてはきたが、途方もなく分厚く高い壁に薄々気づいていて、言語化を恐れていた節があったと思う。けれど、もうこの人は借金依存症で間違いがないのだと断定的な気持ちになったのは、7年前だ。

そもそも「借金依存症」というカテゴリーは正確には存在しないようだ。一番近しいのは「ギャンブル依存症」。父の挙動を見るに、過去はギャンブル依存症も通過しているだろうと観測しているが、老いてからはギャンブルに依存しているようには見受けておらず、やはり「借金」に依存していたし、今もそうであると確信している。

(5歳未満の頃から、パチンコ屋にいる父を呼びに行くのが私の日課で、母はよく私を使っては何とか父のパチンコをやめさせようと試みた。が、無理だった。そんな悲惨さは息をするように日常だった。)

負債前提の事業で自転車操業を続けていたのは、もちろん彼の甘さが要因であるというのは前提だが、彼の身を置いた時代背景もあるだろうと思う。阪神淡路大震災前に父が経営していた建設会社は乗りに乗っていたらしく、私は億ションに住んでいて社長令嬢社長令嬢と歩けばもてはやされる程度の金持ちだったそうだ。しかしそれは単に時代が良かっただけで、それを実力と錯覚してしまい抜け出せないのではないかと思う。

そういう老人は多いなと世間を見ていても思うし、自分がどれだけ稼いでも、未来の子供たちのためではなく、老人のために税金を使う比率が高いことを思うと、働いてても父の顔がよぎって、控えめに言っていつも吐き気がした。

父が闇金に手を出して-1回目

7年前、ついに父は闇金に手を出した。そもそも、事業で失敗し、それでも見栄を張りたいがために自転車操業をしてきた父である。両親ともに息をするようにキャッシングをし、負債は膨らむばかりで、なんなら母も借金依存症ではないかと思っているのだが、もうちょっと収集がつかないのでいったん父の話を。

多重債務者が正確な情報を言うことはない。だから父が正確にはいくら負債を抱えているのか全くブラックボックスだ。

だが、肌感として「少なくとも」3千万はしているのだろうと推測していた。そしてその多額の負債を「負債ができる俺」という風にいつも自慢げに話してきた。口を開けば「債務能力があるのは素晴らしい」ということと「いざとなれば破産して逃げればいい」ということと「お前も早く投資用の家を買え」ということだった。

老人の話にボランティアで付き合っているのだと何度も自分に言い聞かせたが、債権者のことを思うと腹が立ったし、もう会話すら成立しないのか・・・と、父という人の老いに茫然としたし、こんな人に振り回されながら、私や姉や兄の尊い幼少期は犠牲になり続けてきたのかと、取り返せない大事な時間を思っては途方に暮れた。

(両親はこのような具合で自転車操業で生きてきたので、明日食べるものがない貧乏生活もずっとしてきたし、父が人に騙されては仕事を求めて家族ぐるみで転居をし続けて、私たち子供らは一か所で人間関係を築くことはできなかった。そして親はいつも金がないストレスで子供を虐待した。これは氷山の一角だが、まぁそんな具合だった。)

父にできる最後の親孝行を探して

父は負債を愛していた。薬物依存症をイメージしてほしい。薬物依存症患者から薬物を奪ったら、キレ散らかすのが想像できるだろう。それの借金バージョンと思ってほしい。反応や脳の構造はまったく同じである。

産み育ててもらった恩はある。わかっている。けれどそれ以上に嫌悪がある。それを隠しながら、私もまともな人になりたいと、私も「良き娘」になりたいと、思い続けてきた35年間だったように思う。

「両親を嫌悪しています」だなんてことを言ったら、社会から投げかけられる言葉といえば「恩が~」とか、「腐っても親なんだから~」とか、気分が下がるのでこれ以上は書かないけれど、いずれにしてもこちら側が批判、軽蔑される言葉をかけられるのは想像にかたくないし、かけられ続けてきたのでもうそれも面倒で、いつしか私は押し黙って本音を自分に対しても隠すようになった。

なんて生きづらいんだろう。そう思った。

35年間受け続けた行為に対する感情を、ごくまっとうに感じているだけで社会では浮いてしまうのか。きっと誰にもわかってもらえないし、こんな嘘みたいなカオス、誰にもわからないだろうと思った。私の混沌は兄にもそして姉にもわからなくて、私にしかわからないものだろうとも思ったし、誰にもわかり得ない中で、親にできる最適解を一人で導き出さねばならないことは非常にプレッシャーだった。

長年、父という人と対峙し、思案する中でたどり着いたのは「破産させて債務能力を奪ってあげることが、娘の私にできる最後の慈悲」ということだった。事前に弁護士事務所にも何度か相談を行い、自己破産の要件や費用感などを調べあげたうえで、費用は私が全て負担し、破産後の父の面倒は私が責任をもってみようと覚悟したうえで、破産を提案したのが確か7年前の闇金事件のときだった。

いったい誰が悪いのか

ショックすぎてあまり記憶が正確ではないのだが、その時父は怒り散らし、私を罵ったように思う。敷居をまたぐな的な、縁を切る的なことを言われた記憶だが、正確には覚えていない。この人は依存症患者なのだと言い聞かせ、何度もシュミレーションして覚悟のうえだったが、実際に目の前で罵詈雑言を浴びせられると非常につらいものがあった。私にとっては考えつくした最後の慈悲行為だったが、理解されるはずもなかった。

しばらくして母から電話があり、父が私のことを罵っていてうんざりだという内容だった。

これを母から聞かされている私ってなんなのだろうと思いながら、母の非常識さと愚痴のひどさは、私からしたら5歳未満のころから息をするように日常なので、「そうなんだ~ははは」と軽くあしらった。共依存に付き合わされるのもうんざりだった。

そもそも、依存症になる人は過去の強いストレスが少なからず起因しているらしい。父でいうと、過去に産みの親と育ての親にそれぞれ捨てられていて、施設で育っているので、特定の養育者との愛着関係を築けぬまま、それは多大なストレスを抱えて幼少期を生きてきたのだろう・・・とは思う。

何度も同情もした。でも、私も傷ついてきたし、どうしょうもない親に疲弊してきたし、悲しんできた。

それは天秤に載せられない事実で、いったい誰が悪いのだろうといつも考えてきたように思う。答えはまだ出ない。

いずれにしても闇金は社会悪だ。ブラックマネーはたくさんの不幸を作る。そこに加担したわけだから、それは父の責任であると思う。けれど依存症の人を責めても症状を悪化させるだけだ。私はその後父に手紙を書いた。

「私は父の手を悪に染めさせた、悪人たちをぜったいに許さない。いつもあなたの幸せを願っている。」

闇金から足を洗うのは難しいのではないかという家族の推測に反して、意外とすんなりと父は闇金から足を洗った。その手紙が何かしら彼の心に影響したかどうかはわからない。大きな安堵とともに、闇金から借り入れる際に当然渡したであろう私たち家族の情報のことを考えると、父がいったいどういう気持ちでその情報を渡したのか想像がつかず、ただただ吐き気がした。そして、闇金がいつ私の家にくるかわからないという不安で眠れない日が続いた。

父が闇金に手を出して-2回目

それは先月のこと。母の挙動がおかしく、電話でヒアリングしたところ、何やらそういうことだという。続けて母は「だから、今から兄のところに行って相談をする」という。んんん?この人は何を言っているのだろうと思った。

あなたがすべきことは、以前から私が何万回と言っているように「離婚&別居」しかないはずなのに、だ。兄は優しいから母の話を聞いてあげるのだろう。それで母はおめおめと泣くのだろう。泣いてなにが変わるんだよ。しっかりしろよ。こんな嫌悪を抱くのも、息を吸うように日常だから私は決して驚かない。・・・そう、言い聞かせた。いつものことだ、と。

ならばと思い、兄の家に私も行き、おのずと家族会議になった。「離婚&別居」をいまこそすべきときなのではないかと懇々と話し、これも何万回も言っているけれど、負債の穴を埋めてしまうあなたがいると、依存症患者を悪化させるだけだとさとし、母も今回ばかりは言う通りにするといった具合で、3月中の実行を計画した。

兄とも何度か協議を重ね、今回ばかりはうまくいくだろうと思っていた矢先、母はやはり変わらず、父と暮らし、父と働き、父が借金をするのを手伝うという選択に至ったということを先日知った。何十年も抑えてきた空いてはいけない蓋が、バカっと空いたのを如実に感じ、私は虚無感とともに、何のために両親にここまで心や時間をさいてきたのだろうと悲しくなった。そしてポシュレを流しながらこれを書いている。

「あなたのお父さんに死んでほしい」

先日、私の旧友は目に涙をいっぱい浮かべてそう言った。彼女は目が細いのがコンプレックスだからいつか整形したいという。私はその大きい目がいつもかわいいと思う。コンプレックスとはそういうものなのだろう。

彼女は5年程の付き合いで、一番仲のいい友人だと私は思っている。彼女も沢山苦労をしてきているけれど、そんな素振りを一切みせずにいつも澄んだ空気をまとっている。こんな純心でいられたらなと、私は彼女と会うと祈りに似た気持ちになる。

前日に、ラインをしてて、私の挙動のおかしさを察知したのか「明日会わない?」と言ってくれた。私はあまり人を誘うのが苦手なので、驚きつつもすごくうれしくって「ぜひ!」と言って約束をした。シングルマザーなのに、子を預けてわざわざ私の最寄駅まで来てくれるとのことだった。そんなに挙動がおかしかったのだろうか、自覚はないけれど彼女は鋭いので、まぁまぁやばい雰囲気を出していたのだろう。

私のお気に入りのケーキ屋に入って、ケーキがくる前くらいまでに、彼女がいろいろ質問してくれたので、私もつい「重い話だよ」と前置きしたうえで、つらつらと両親のことを話してしまった。

できるだけ簡潔に、できるだけこの昼下がりのケーキやさんに合うようなトーンで、できるだけ明るく話すように努めた。だいじょうぶ、こんなの息をするように日常なんだからと言い聞かせるまでもなく。そして考えつくした渾身の「7年ぶり2度目の闇金って、箱根駅伝かよ!!!(笑)」というツッコミを決めて話を終えた。

パっと顔をあげると彼女の大きな目は涙でいっぱいになっていて、いつも明るく気丈にふるまう彼女の眼に涙が浮かんでいるのを私は初めて見た。ちょうどケーキがサーブされたときだった。そして声を震わせながら言うのだった。

「こんなこと言ったら本当にごめんね。よくないってわかってる。でも、あなたのお父さんに死んでほしい・・・」

彼女はしぼりだすようにそう言った。これを聞いたとき、はっとした。私はなんてだめな友達なのだろうと。泣いたこともない彼女を泣かせてしまい、悲しい気持ちにさせてしまい、なんてだめな友人なんだろう、と。それと同時に、35年蓋をしていたものがガバっとさらに空いたのを確信した。「あぁ・・・私は傷ついてきたのだ・・・・」と。

私はそのときも泣かなかったけど、彼女が「あなたが苦しめられてきて、悲しめられてきて、私は悔しい」と涙した姿をみたことで、傷ついて当然、嫌悪して当然の事象がずっと何十年も続いてきたのだとやっと理解したし、私の代わりに泣いてくれた彼女がいたたまれなくって、隠すようにまた私は笑ってしまうのだった。

そして彼女が発した言葉は、私が思っていたことだった。でもそんなこと言っちゃいけないし思っちゃいけないと固く蓋をしていたし、父の良き娘になりたかったし、いまだになれるのではないかという幻想を抱いていた。そして父も、良き父になってくれるのではないかと信じていた。

二度目の闇金、二度も家族の情報を売った父、社会悪、幸せになってくれない両親、私と縁を切るといった父、幼少期に寝たふりをして父にわざと抱っこして運んでもらった夜、愛人とばかり過ごす父、あなたの父は愛人と浮気してるのよと5歳の私に言い聞かせる母、いつも悲観的で愚痴っぽい母と、泣いてんじゃねぇよとイラつく私、兄を虐待する母、それを見つめる私、姉を虐待する父、それを見つめる私、家に金がないのに避妊せずにセックスをして身籠らせては金がないからと荒療治で堕胎させて母を寝込ませた父と、そんな父を愛してしまう母、両親を尊敬せねばならないという社会圧や規範、目の前で親友が涙を流して、私の父に、死んでほしいと言っている、それは私が、長らく秘してきた、言葉だった

どれもこれも重すぎて笑えない。

あれから数日経過するけれど、まだ彼女の涙と言葉が忘れられない。あんなことを言わせてしまって、本当に申し訳なかったなと、かみしめるようにそう思っている。そして、明け方にひとりでポシュレを見ている。

西村ゆかさんの著書を読んで

www.yomiuri.co.jp

どうしようもねぇなと思いフリーズしてSNSを見ていたら、上記が流れてきたのでぼんやり読んでいたら、なんだか自分と重なりすぎていて即座にkindleで新作の著書を購入して読みだしたところ、なんだかもう重なりすぎてどうしようもないというか、言語化を避けてきた感情がありありと書かれていて、なんどもkindleを閉じては号泣した。

以前から、大変に理路整然とした方だな、ひろゆきと結婚生活できるくらいなのだからGMOって恐ろしくメンタル鍛えられる会社なのだなという理解でいたが、実際はそうではなかった。(それが起因しているところも数パーあるだろうが)。西村さんはとんでもない家庭環境で育ち、それを振り切るようにして大人になり続けていた。動画やテキストからあふれ出ていた理路整然さは、それだったのかと納得がいった。

https://amzn.asia/d/28hDaYh

転んで起きて 毒親 夫婦 お金 仕事 夢 の答

形容するのも野暮かなと思うくらい良作だったので、あまりここには書かないというか感情移入しすぎて書けないのだが、とにかく父や母の死を私はどうやって見つめていけるのだろうと思ったし、そのために私にいま何ができるのだろうと、余計に途方にくれたところもある。

でも、途方に暮れるというのはゼロになるための通過儀礼的な要素もある気がするので、私はゼロになるのかもしれない。

そんなことを思っていたらどうりで寒くて、外はみぞれが窓をたたいていて、あなたのお父さんに死んでほしいといって涙をいっぱい目にためながら謝る親友の瞳が、私はどうしても忘れられない。