恩人の訃報

久々の更新

お久しブリトニースピアーズです〜。かなり更新が空いてしまった、グヘェ。。気づけば読者様が12名もいらっしゃって、何をどうしたらこんな底辺なブログの読者になろうと思われるのだろうと(をい)びっくり仰天山でございます。うれC超えてうれFくらいですね。感謝でちびりそうです。尿道鍛えます。

近況

いやはや。すこぶる元気ですね。自分が長年悩んでいたことが、長年というかなんなら生まれてこの方35年悩み続けていたことがスパっと解決してしまい、表現し難い不思議さとともに、やはり諦めなければ人間は死ぬまで成長できるのだなと人間という生き物の可能性と、

本来備わっている底力に驚くとともに、ここに至るまで支え続けてくれた数々の善良な友人や先輩たちに感謝でいっぱいでございます。善良な友人や先輩たちには、このような名前のブログをやっていることは死ぬまで隠していく所存です(^O^)/

生まれてきてよかったと初めてレベルで毎日噛み締めているこの頃。何もなくてもただただ幸せ。どことなく吸い込む空気も美味しい気がして、私の喉か肺に空気清浄機でも搭載されたんちゃうかというお気持ち(⌒-⌒; )

死にたい時間が長かったし、いつになったらこのトンネル抜けられるんやろと思い続けてきたけど、生きてていいと毎日思えることがこれほどに幸福なことなのかと、っていうか大抵の人はこんな鮮やかな世界線で生きてたんかよ!!と驚く(⌒-⌒; )

これからなんでもできるなという気分で、何をしようかワクワク考えながら、なんとなくぼちぼち企業の面接も受ける日々。あ〜早く自分の生涯かけてやりたいこと見つけたいな〜楽しみやな〜。そんな毎日でした。なおstaub(ストウブ)生活は健在で

↑タラのなんかめちゃくちゃ美味しいの(語彙力)作ったり

↑ぶち込んだだけのメチャクチャうまいミートソース作って、ほんまストウブって何かのバグなんちゃうかな?と思ったり(褒めてる)

↑とはいえやっぱり塩味とかシンプルであればあるほど美味いのがストウブなのよな〜と原点回帰したり

そんなわけでストウブとこの木のなんか置くやつ(ごいr)をブラック労働させる日々です(^○^)

訃報

そんな中、私が人生で最も恩のある方がこないだ急に亡くなってしまい、訃報を聞いた瞬間、一瞬フリーズしてしまい、人間ってほんまに固まることあるんやなって何故か冷静に客観視しつつも、やはりしばらくは涙が抑えられず、嗚咽を必死に抑えながらただただ号泣しました。

それは悲しいではなく、感涙というか、思い返すほどにいつも支えてきてくれた人生の大先輩で、あれがなかったら、これがなかったら、あの方と出会っていなければと、どれほど自分の人生と自分という生き物をまともにしてくださったかわからないなと思い、感謝とちょっとの寂しさで水分なくなるくらい泣いてしまった笑

これほど偉大な人生の先輩に出会えて、さまざまなことを教えてもらえた自分はほんま幸せ者だったし、これからも自分がもっと幸せになっていくこと、もしくは誰かの痛みや苦しさに私なりに寄り添って励まして生きていくことで、恩返しできないものかと、人知れず心を燃やす日々。

機能不全家族

私は心理学的にいうところの機能不全家族で育ち、親は虐待傾向で、家族はガタガタで、幼少期はなんなら祖母に育てられ、親の記憶といえばいつも言い争っているか子供を罵倒しているかの2択で、色々端折るがそんなわけで順調に16で完全にグレて、親への恨みが深すぎてこのままでは親を殺してしまうと確信して16で高校中退して家出をした。

17で重度の鬱病にかかり国が現在認めてる量の2倍以上の薬を飲みながらなんとか働いていた。医者は一生完治しないと無慈悲な言葉をかけたが、おかげで腹立って1-2年で断薬して寛解した。(以降、服薬なし)けど、たしか17-18くらいで自殺未遂をした。色々端折るが幸いにも生きていた。

家出以降は1人で暮らして働いているのだが、16の時に親を殺さずに済んだのは、その恩人と出会えたおかげだと確信していて、その人が「親は殺してはいけない」と言ってくれなければ手にかけてしまっていたと確信している。

そしてその人が「過去はどうあれ前には希望しかない」と背中を押し続けてくれなければ、生命がいくつあっても足りぬほど自殺していると確信している。

親以上に親で、唯一尊敬して信頼できる大人だった。機能不全家族で育った私は社会に出てもオドオドしてるからかどの会社でもいじめやパワハラにあった。まぁでもこういうのはよくある話だと思う。運命に翻弄されがちなのが人類の宿命といってもいい。

それでも「人生の主役になりなさい」と私に言い続けてくれた。こんな世の中に希望なんて何もないんだと絶望しかけた時も、いつも「希望はある」と励まし支えてくれた。その言葉には実体験と優しさに裏打ちされた圧倒的な「説得力」があった。

そして35にしてやっと「自分は生きてていいんだ」と腹の底から思える私になれた。誰かを励ます側にまわりたいと切に思う私になれた。親を赦し人並みには親を大事にできる自分になれた。どれもこれもその方がいなければあり得ないことだった。そして「あなたはもう大丈夫ね」というかのように、私が元気になってから亡くなった。亡くなる1週間前に手紙をお送りして自身の近況や元気な報を伝えたことで、喜んでいただけてたらと願わずにはいられない。

青空

その方が亡くなってから晴天が続いており、人を明るくさせる名人みたいな方だったので「あぁ空になったんだな…」という謎の気持ちになっているんだけど、

これからも空を見上げるたびに、晴天のたびに私はその恩人の方を思い出し続けるのだろうなぁ…と思ったり、晴天が続いてることだけが、その方が亡くなったこと納得させる現象のようにも思えて、馬鹿みたいに晴れて広い空のコントラストで少し寂しかったり

でも時として厳しいことを私に言ってくれる方だったし、メソメソしててもその大先輩は決して喜ばないので、私はその方に恥じぬような人生を、主体者として強く歩んでいくことを誓う。

死んでもなお私を励ましてくれる偉大な方だった。今後も派手に転ぶことはあるかもしれないけれど、大阪ど根性で絶対前方向に転んでやるぞ!

どうかどうか安らかに。