スタンディングデスクは人生好転させるよという話

更新が久々になってしまった。いま、あれやこれやの個人的タスクを目いっぱい抱えながら、とりあえずご飯食べたらやろうと奮起し、やらずになぜかハテブを書いている。人間、逃げられるところまで逃げようとするものだ。

 

さて、標題の件だが標題の通りだ(小泉k・・)。みなさんご存知Flexispotのスタンディングデスクを買った。5月に、だ。そしていまは秋めいてきて10月。そうなのだ。約半年放置したFlexispotのスタンディングデスクをようやく組み立てて設置した。

 

遅すぎるだろとかそういう一般的な批判はこの際やめてくれ。もう罰は受けた(もののけ姫ラヴ)。そもそも、私は賃貸住まいだ。持ち家VS賃貸問題は飽くなき戦いだが、とりあえず現時点では賃貸のほうがリスクを減らせるだろうとの判断で、現在の住まいであるジリ貧激安賃貸に住んでもう8年を迎えようとしている。同じ家にこう長く住むのは初かもしれない。

 

引っ越しを幾度となく繰り返してきた身としては、やはり引っ越し代は無駄の一言に尽きる。そして家賃も無駄の極みである。しかし賃貸住まいアー(er,あってる?)をすると決めたのであれば、家賃は可能な限り低く、そしてどれほど収入が上がっても住まいという意味での生活の質は絶対にこれ以上は上げない、そして引っ越しをしない。この選択肢が吉なのではないかと気づいたのだ。すごいだろhahahaha~

 

ということで、現在のジリ貧賃貸にもう8年も住んでいるのだが、まぁ狭いのなんのって。そこで私はDIYをするに至り、ハンマーなんてもてませ~ん系ピエン女子だったはずが、電ドルはBOSCH一択やろ系ガテン女へと進化したのだった。ジリ貧賃貸住宅には腹立たしいことにまず収納がない。オーナーの「金のないやつは収納なんぞいらんだろ」という腹黒い魂胆が伝わってくるかのごとき設備だ。ジリ貧の底力見せたろやないかい!ということで、ジリ貧賃貸住まいアーはディアウォールで壁面収納を作るという技を習得した。なので我が家は壁面収納だらけだ。

 

しかしまともな机がないのだ。こればかりは買うしかないのだが、狭いしどうしたもんか・・・と思いながら、まぁ家なんて帰って寝るだけだしというジリ貧サラリーマン生活を続けていて(そして本当に寝に帰るだけなのでそれでよかったのだ)、机の必要性を感じたことはそこまでなかった。本は寝ながら読むしネトフリも寝ながら見るし、飯は立って食うしという野生を極めていた。

 

しかしニート半年目にして、というか、ザックリ申し上げると、ブラックからブラックへ、そしてブラックへ、そして会社の不正を発見した後に精も根も尽き果てて生きる意味とは?となり、幸いにも業績悪化の末に退職パッケージをもらえることとなり無事にクソ不正ブラック企業を退職することに相成り、人も社会も恨みに恨んだ末に無となった。・・・・のが、2023年5月ごろのお話(なげぇわ)

 

精も根も尽き果ててるわけですから、感情をどこに落としてきたのだろうと思うほど無感情で、しかし無感情なりの野生の本能でなぜか「よし。Flexispotを買おう」と思い立ったのだった。しかし無感情疲弊人間が組み立てまでできるわけもなく、そして今年の夏は本当に暑すぎてすべてのやる気がうせ、かつ、自分の人生の総棚卸という地獄の作業をHP5でやったらさらに感情が無になり、組み立てることができなかったという壮大な言い訳をさせてくれ。

 

なお購入したのはこちら。

https://tech-you.jp/flexispot-e7pro-review/

e7proという、flexispot上初の「コの字」型スタンディングデスクだ。つまり、机の脚部分が省スペースになるということ。こりゃいい、この机の下に頑張ってベッドを置いて寝れば机も買えるのではないか?という発想のもと購入に至った。

 

急に秋めいて気温が落ち着きはじめてすぐに、私の感情も落ち着き始め生きる気力がわいてきた。さて、組み立てますかということで、半年の時を経て組み立てると、なんということでしょう。めちゃくちゃ人生好転しそうな予感を感じられるほどの機能性と美しさ!!!こりゃ素晴らしい。もっと誰か早く教えてほしかったぜ、、。そのぐらい、素晴らしいのだ(語彙力)。まず、天板は奥行80cmの横幅180cmをチョイスした。届いてからでかすぎて後悔し、横たわる天板を見つめながら余計に病むという謎のセレモニーを半年続けたわけだが、組み立ててみるとあら不思議。めちゃくちゃいいやないかい。

 

いろんなことをやらなきゃと焦るタイプの私としては、すべき事象のアイテムをすべて机に置いて、自分の身体だけを横移動すりゃいいというのは画期的としか言いようがない。寝て起きて、机にあるアイテムをみて、なるほど今日はこれをやるんだったなと思いだす。しかも昇降式でe7proのすごいところは下はたしか50cmほど、上は120cmほどまで上げ下げができるのだ。脳みそが腐ってきたら立って作業をするとめちゃくちゃはかどるし、巨体を支えるのが疲れてきたら座ればいい。非常にシンプルだ。そして画期的だ。

 

この机を見るたびに「なんか絶対人生好転しそうな気がする!」と確信めいたものが込みあがる。そのぐらい、機能的であり、実際に以前にましてやる気みたいなものが上がったしもちろん実作業もはかどるのだ。

 

私が購入したときは天板あわせてたしか6-7万したが、得られるものを考えると余りある買い物だ。スピ撲滅運動をしている私としては、変なしょうもない他力全開そして一切未来を切り開けない占いなどにちょこまか課金するくらいなら、全人類がflexispotに課金してスピを断ち切り、みんなの人生が実質的に好転して、スピ界隈の人間全員が失業したら経済がめちゃくちゃよくなる気がしている。、、、ぐらいおすすめだ。

 

さて、写真の通りSPIを受けている。そして落ちているw 中学校までの勉強って大事だったんですね、hahahaha^^ と思わざるを得ないほど手を焼いている。いたしかたない、つけはまわるのだ。転職活動をぼちぼちやっているのだが、適性検査で落ちるという屈辱を味わい、こりゃまぁやるしかないなと対策に本腰を入れ始めた。やりゃ受かるんだからやらない手はないだろ、と前向きにガリガリ進めている。そう思えるのもなんだか無駄にでかいFlexispotの天板が、謎にすべて振り切らせて前向きにさせてくれているようなそんな気がしている秋。やればできるのだから前に進むしかない。

 

”気候変動“ (短編小説というか何というか創作物)

流産する夢を見て目覚めるとすっかり秋になっていて、長すぎる夏は夢よりも遠くて、思いの外身体にこたえた。私はといえば元婚約者に入籍直前に婚約破棄をされ、周囲の勧めに耳も貸さずに慰謝料請求すらせず原因もわからぬまま自分を罰し続けていた。

金と男を恨み続けて仕事をした。よし君が突然いなくなったあの日の虚無を思うと、もっと良い企業へ行きもっと金を稼がねばと気が急いた。誰よりも金を稼ぐことが男への復讐になるような気がして、いや、正確には恐らく誰よりも金を稼ぐことが男への復讐になると信じて、あの日から疑わなかった。疑うことは疲れることだ。

先日、土釜の蓋の金継ぎが取れた。それは母から譲り受けたもので、酷使しすぎて欠けた蓋の一部を、よし君が丁寧に金継ぎをした。もう2度と男に感情移入したくないと決めて、私は男から手元に残るものを貰わない主義を貫いていた。何より稼いでいるので何でも自分で買うことができたし、何かを買ってもらうことは弱みを見せることだとすら思い徹底していたのだが、虐待サバイバーが何を後生大事にと呆れつつも、母からもらった土釜だけは手放せず、否応なしに目に入る蓋を見つめては形容できぬ気持ちになった。そんな金継ぎが何の前触れもなく7年ぶりに取れて、また土釜は欠けた状態になった。

よし君はエンジニアだった。何を考えているかわからぬポーカーフェイスと世界の全てを恨んでいるような冷たい目に時折浮かべる笑みがギャップも相まってかわいかった。それは一切に匹敵する気がしていた。いつも明るく振る舞っている自分が馬鹿みたいに思えるほど、あなたのその笑顔には破壊力があって、その無自覚さに少々苛立ったりなどもして。

わかってあげたかった。どういう経緯であなたが完成したのかを。成り代わってあげたかった。形成するまでの痛みやあなたを阻害する効果その全てを。

家族になるということは食事をすることだと思っていて、互いに単身者用マンションを引き払い結婚を前提で広めのマンションに越してからは毎日手料理を作って一緒に食べた。あなたはスペアリブが好きだ。それにかじりついている姿は唯一無防備だったが、無防備だよと言えば永久に見られなくなる気がしてスペアリブにかじりつく横顔を眺めては密やかにコレクションしたりした。謎の婚約破棄を言い渡された際、引き留めるために作った食事を一切食べてもらえなくて、その食事を自らゴミ箱に捨ててからというもの、私は食事が全く作れなくなった。

世界は全てよし君だった。そう思えることの何が恥ずかしいのだろう。あなたに全てを注ぎたいと思いひとりへ実直に注ぐことの何が悲しいというのだろう。

そんなことを朧げに思案してはどうでもいい男とセックスをしている、武蔵小杉の河川横ラブホの天井を見つめながら。

あの日から時間は止まったままだけれど、私の手元にも秋がきた。泣けばよかったと思っている。子も孕んでないのに流産後の腹の違和感を抱えて。

 

 

ルーデウスとシルフィのようなセックスがしてぇのよ / セックス依存症の備忘

アニメ「無職転生」の概要

標題の通りだが無職転生のルーデウスとシルフィのようなセックスがしたいということについて書きたい。Mr.Childrenの「くるみ」を聴きながらこれを書いている。ドトールにて。

無職転生」というアニメをご存知だろうか。ネトフリやその他色々なところで見られる(現時点で)36話の日本アニメだ。私は原作を読んだことはないが、この作品は非常にいい。いいのだ。

スーパーざっくり言うと、無職の引きこもり子供部屋おじさんがある日死んで異世界に転生する。転生した世界ではなかなか腕の立つ魔法使いとなり、前世とは比較にならないキラキラ美少年生活を謳歌する。この転生した元おじさんの主人公が「ルーデウス」だ。

そしてルーデウスが幼い頃に魔法を教えてあげたことのある少女が「シルフィ」だ。

(←左:シルフィ・→右:ルーデウス)

(↓なお、ルーデウスの転生前)

ルーデウスとシルフィは幼い頃に縁したきり、訳あって離れ離れになる。その後、元引きこもりおじさん:ルーデウスは様々な場所で旅と冒険を繰り返し、どこにおいても“無双”しながらキラキラ人生を送る。

過労で何もかもが嫌を通り越して感情が「無」になったので労働列車から飛び降りて垂れ流すようにニートな日々を送っていた私にとって、この主人公の「元引きこもりおじさん」の華やかな第二の人生は胸に迫るものがあって、何故か序盤でワイ氏早々に泣く(泣けるシーンは特にない)。

だってこんなにも前世で苦しみながら八方塞がりで引きこもっていたおじさんが、こんなにも美少年で無双するんやぞ…。よかったなオッサン…ほんまよかったな…!!!序盤からそんなお気持ちでいっぱいになる。

いざ、セックスへ

さて色々端折るが、かなり終盤でルーデウスとシルフィは青年期にさしかかり偶然に再会する。互いに好意のようなものを持っていたので意識はするものの立場もありなかなか2人の仲は縮まらない。そして色々端折るがルーデウスは勃起不全で治療法を探していた。ルーデウスが勃起不全と知ったシルフィは媚薬を用意して、いよいよ聖夜を迎える(なお、シルフィは処女設定)。

媚薬の効果もありルーデウスのルーデウスは全快。なぜかシルフィも媚薬を飲んだことでやけに急に色づくシルフィがエロいんじゃ。

そして2人の恥じらいやためらいが美しく絶妙にエロいんじゃこれがまた。こんな恥じらった夜ってあったかな………自分の人生100億年くらい遡ってみたがなかった。記憶にないだけかな( ◠‿◠ )?

私は昔「セックス依存症」だった。姉もそうだった。

幼少期の生育環境が起因してるものと思われるが、まずは「認識」してから、その後「脱出」するのにとにかく時間を要した。朝水を飲むように歯を磨くように当たり前のように男とヤった。息を吸う如く生きていくのに必須習慣のように思っていた。

性病には十分気をつけた上でだが、そして現在は性病等の各種検査は全て陰性というのを添えておくが、とにかく不特定多数の男とヤった。「え?漢ならいっちょヤるっしょ?」みたいなオッサンのような感じだったように記憶している。その割に睡眠を阻害されるのがめちゃくちゃ嫌いなので、寒さで目覚めてしまい、隣の全裸の男が布団を牛耳っていた時などは心底腹が立ち、頼むからヤったらさっさと帰ってくれという血も涙もない女だった。

武蔵小杉の河川横の寂れたラブホ

もちろんまともなというか真剣な恋愛もしたことがあるが、性行為という点にフォーカスすれば「血も涙もない女」歴のほうが圧倒的に長い。

まともなサラリーマンになって社畜絶頂期の時は、肉体的に死の危険を感じてかなんなのか、それはそれで頭が沸くほど性欲がマックスになり、あぁ男ってこんな気持ちなのかもな〜などと妙に腑に落ちて、マッチングアプリで知り合ったジューシーなムキムキ年下男子と武蔵小杉の河川のほとりにある寂れたラブホで時間を見つけては情事に耽った。「賢者タイム」の静寂だけが仕事を忘れさせた。

「寂れたラブホ」が好きだ。夜景の見える高級ホテルなんぞ、何の意味もない。

若かりし頃は「どこそこの夜景が一望できるホテル」などに人並みに憧れて年上男性とよく行ったもんだが、行ったら行ったで飽きるもので、かつ1番厄介なのが「〜君こんなところ予約してくれたのぉ〜嬉しい〜すごい〜!」…的なテンプレ回答を感情を入れながら言わねばならぬことに非常に疲れたし萎えた。「寂れたラブホで雑に抱かれる。なお年下」みたいなシチュエーションだからこそ燃えるのだ。夜景も窓もいらねぇ。

武蔵小杉ラブホ時代は、もう全てがどうでもよくて快楽だけに溺れていた方が楽だったし未来が見えない日常に辟易してとにかく粗雑に扱われたかった。粗雑に扱われていると感じられれば感じられるほど安心した。

武蔵小杉の駅構内のセブンイレブンで酒とちょっとしたつまみを買って、いつものラブホに行くのが定番で、それが定番化していることにもエモーショナルを少々感じたりなどして。

女版勃起不全の成れの果て

働きすぎると勃起不全になりがちとよく聞くが、私もその類ではないかと思う(女版勃起不全ってなんて言うの?)。

出し入れすることは誰とやっても変わらない、その行為自体の儚さや単調さ、そして生物のなかで唯一人間だけが避妊をすることの滑稽さ、遊戯の割に結局出し入れするのは誰とヤっても同じ…考えるほどに虚無でいっぱいになり悟るほどに萎える。

若かりし頃にヤりすぎて頭若干おかしくなったかつ、仕事で働きすぎて性欲の山を越えたら深い谷に落ちたみたいなことだと思うのだが、いい年齢に差し掛かると「よっぽどのことがないと発情しない」という謎の現象が発生するようになった。

何を見ても何と遭遇してもシコれない。そんな私が最後に発情したのはもう8年以上前のことで、同じ苗字の人だった。

私はあまり多くない苗字の持ち主なのだが、全く同じレア苗字を持つ男性が会社にいたことがあった。あぁ…同じ苗字なんだ……と思うと遥か遠い先祖を思わずにいられず、予期せぬ近親相姦感が急に発情スイッチを入れた。

ゆえに仕事中はずっとやらしい目で見ていた(捕まれ)。もしや勃起不全が治ったのか…!?と当時動揺を隠せないほど、その人と話したり飲んだりすると毎回同じスイッチが入った。千載一遇のチャンスと思い、利害関係のなくなった退職後に無事に事を致した。

「先祖への背徳感」が、感じたことのないエロへ私を誘うというなんとも稀有な現象に襲われ、後にも先にもあれがエロのピークだろうと思う。「先祖への背徳感」は最強のおかずである。すまんな、こんな仕上がりですあなた達の子孫は。

ルーデウスとシルフィの純愛

ブログが汚れてきたので、くそおばさんっていうかくそおじさんの得体の知れないすれっ枯らしの異常な性癖及びセックス依存症体験記はこれぐらいにして本題に戻ろう。

無事に勃起不全が治ったルーデウスはシルフィと事を致すのだが、シルフィは処女なので朝起きたらシーツが赤く染まっていた。そして隣にシルフィはいない。赤いシーツを眺めながら物思いにふけるシルフィ。込み上げるシルフィへの清い気持ち。

なんかこう…いいなーーーーーーーー!!!!と思うわけですよおじさんというかおばさんは。淡いんじゃ。どうすりゃこんな淡かった時期に戻れるんや。ってかこんな淡い思いを抱いたことってあるんかワシ?ワシとか言ってる中年独女やぞこちとら。

さておき、ルーデウスはその後シルフィに求婚して結ばれる。(そんな清いことあるんか?) まぁアニメだしなってのはあるけれど、逆にアニメでこんな淡さを出せるって日本アニメすごくないか?などと。

思わずおばさんは過去のすれっ枯らしセックス体験を回想してしまったぜhahahaha.まぁちょっとこう私の汚い体験記も混ざって美しく表現しきれなかったのだが、ややや、逆にコントラストで美しく思えたか知らんけど、非常に良いものを見た気分になれるので、勃起不全の方や綺麗なセックスってなにそれ美味しいの?的な世界線のあなたはぜひ見るべきオススメアニメだ。

 

転職市場における”市場価値”の考察

変態としての転職活動

私はジョブホッパーだ。日本だとそう言われるくくりに入るらしい。

複数箇所で働いて経験と知見を財産として次の企業を発展させる。その繰り返しがなぜ日本でNG視されるのかいまだ全く理解ができない。

以前ブログでも少し触れたが、自分は「生育環境弱者」であり、それによる「自己肯定感育成の失敗者」である認識だ。さらにいえば「超低学歴」だ。どれを持ってしても社会で戦える気がしない。だから「転職」をハックしてより良い企業、より良い企業へと渡り歩くほか、年俸を上げる方法がなかったのでそうしてきた。

これも以前のブログご参照だが、私はいまニートだ。前述の方法を繰り返した果てにあったのは「虚無」だった。自分が何重にも仮面をかぶった人間になってしまい、何者か?何者になりたかったのか?が一切わからなくなってしまったのだ。まさにコンプレックスゆえに転職を繰り返してきたタイプと言っていい。だから、転職さえハックすれば確かに良い企業もしくは希望企業へ入社はできるが、現段階ではおすすめしない。

例えば私は目黒に本社がある「ニコニコダンボール系企業」に以前勤めていた。これは今思うと「コンプレックスがあったから」だと思う。世界的な有名企業で働ければなにかが変わるかもしれない…。その”なにか”には、母が喜ぶかもとか、一方で母の呪縛から逃れられるかもとか、自分を取り戻せるかもとかそんな浅はかかつ、切実なものだった。

私はギリギリにならないと動かない怠慢野郎なので、目黒本社の涼やかかつ巨大なロビーで、面接15分前にモソモソとカバンから「過去職歴と自分の強みを書いた画用紙」をおもむろに取り出し、慌ててインプットしたりしたのが懐かしい。

紙は嫌いなのだけれど、書かないと覚えない&画用紙という切れ目のない大きな紙じゃないと覚えないという謎の性癖を持つワイは、転職活動の際は必ず画用紙を持ち歩く。慌てていても「絵」としてインプットが可能だからだ。そうしてクソみたいな「画用紙インプット」を10分ほどで済ませて時刻5分前にエレベーターを昇って面接に挑んだ。結果は内定だった。

(余談だが、当該企業は意外と高学歴主義ということが入社してわかった。大抵の人間が海外の大学を出ていたりする。そんななか、大学すら出ていない私は、最終学歴の証明書を人事に提出した際、相当動揺した様子で3度見された。あの企業の最低学歴者だった自信があることを添えておく)

入社して気づいたのだが、コンプレックスを抱えている人が異様に多くて、例えば、元有名牛丼チェーン店店長とか、元ブラック企業出身とか。みんな何かしらの大きめのコンプレックス並びに闇を抱えていて、だからこそ「有名企業」という光に群がっていた。そして自分もそれに群がった蛾にすぎないのだと早々に理解をし、自分はいったい何を目的に生きていたのだろうと早々にやる気がうせた。そこに入社したことで自分を鏡にやっと映せたといっていい。

みんな金を求めていた。金と名誉を求めていた。みんな見栄があった。「どれほど辛い労働環境でも、腐っても有名企業だ」というはかない見栄。見栄に魂を売ると、戻ってくるのには相当時間がかかる。そして、善良な気持ちが少しばかり残っていると、人を蹴落とさねばならない経験を長く続けていくことはできない。大抵、悪い奴らが上にいき、善良な気持ちのある優しい(=普通な)人は、早めに精神を壊すか辞めるかしていった。その企業で働けば働くほど、周囲の醜さに自分を見る思いがして空虚さが増した。

しかしながら「4桁稼げるようになりたい」と思い続けながら転職を繰り返し、それなりに社畜をやってきたので、それなりの財力と自信を持って売れるスキルはでき、幸か不幸かいまこうしてニートをやっている。

向こう数年は経済的な部分を一切気にせずにタラタラと過ごしてゆけるのだが、刻み込まれた社畜DNAはそれを良しとしない。そういうわけでなぜかニート半年目で転職活動をしている。もうここまでくると変態の領域というか、変態と名乗りたい。そういう気持ちがこみ上げる。

市場価値の低下

だいたい現時点で書類推敲に180時間程度かけているのだが、今までにない大きな違いを感じている。

何かというと、以前であればこのクオリティで楽々と書類通過していたであろう「企業、ポジション、年俸帯」の求人に、書類が全く通過しないのだ。面白いほど落ちる落ちる。これは確実に「市場価値が下がった」ということを示している。悲しいかな現実を受け入れるしかない。

と同時に「求められているものが違ってきている」ことを示唆している。転職活動の戦略として「正解」は確実に存在する。確実に、だ。相手が求めているものを誤差なく見抜きそこにドンピシャであわせていく。そうすれば合格としての「内定」を手にすることができる。

(…といいつつ、企業側で人事もやっていた分際としては、行き着くところ転職とは「ガチャ」であり、合否も相当の「運」要素に影響されるということを、矛盾を承知で書いておきたい。例えば面接に入る予定だった人間が、他業務の兼合いで急きょ出られず代打面接官を用意するということもままある。客観的に見る限りは、本来出る予定だった人間が面接をすれば”合格”だったであろうという候補者が、代打面接官によって”不合格”になった、などという事例は五万とある。結局、面接なんて時の運で、候補者が必死で準備してくるのは、本人の満足感のためともいえる)

ともあれ、私は今回の転職活動で粛々と「市場価値が下がったのだ」という事実をいったん受け止め、企業側が求めていることを考察し直すことから始めた。エンジニア以外の職種において、30代中盤以上になると、おのずと求められるものは2点で、(1)マネジメント能力 (2)幅広いというよりは深い業務経験、だ。

今までの私は「~職種において幅広く経験してきたんダヨ!伸び代もアルヨ!」というキラキラエントリーシートを作っていたのだが、なるほど。幅広さなど一切求められていないのだなということに書類推敲175時間目にしてやっと気づく。お前はもう30中盤なのだから、ピンポイントに説得力を持って「これ”は”できます」と言わねばならんのか…と、今までとは文法が異なるのだと知る。深い…

たった1歳異なるだけで、これほど求められるものが違ってくるのかと(なお、現在35)日本での転職のしづらさを感じつつも、これがお作法なのだから合わせるほかないだろうと、前述の通りに推敲してみると、難しいだろうと思っていた企業でも通過するではないか。

もちろんうれしくはあるのだけれど、率直な感想としては「草」だ。たったこんな書き方の違いと、どこに文量をもたせるかだけで合否が変わるだなんてバカげてるぜ…と思った。でもこれが現実だ。日本では「転職35歳限界説」という都市伝説がまことしやかに囁かれており、私はしょーもな、、と思っていたがどうやらマジらしい。。こりゃ経済も伸びんし失業者も増えるし人手不足倒産だなんて造語ができて外資に抜かれるわけだ…と相当納得した。結局、この日本において「性別・年齢」という情報なしには生きていけないらしい。

たまにやってくるご褒美思考

私の脳はどうやら高揚物質が出づらいらしい。冒頭の通り「生育環境弱者」だからか、母が精神的に弱いからか(妊娠中の母の精神系統は遺伝するというのが証明されている)、私が腹にいるときに母が父の不倫や会社経営のあれやこれやでストレスを抱えていたからか、私が幼少期に祖母に育てられたからか、17で家出してマクドで暖を取りながらうまい棒10本で1週間生活していたからか、10代でずぶずぶの鬱に罹患して、今では禁止されている類の薬を禁止されている量の3倍量処方されて飲んでいたから脳みそがおかしくなったのか、そのすべてかはわかりかねる。とにかく、体感として脳みそで高揚物質が出づらいのだ。

これもブログで既出だが「生きていていい」って私だって思いたい。「生きていていい」と思えることは才能であり特殊能力だと思う。

たまにいるのだ、こういう自己肯定感お化けが。そしてそういうやつは何もしなくとも出世できる。「どう?!オハヨー!私は今日生きているよ!うれしいでしょ!」みたいな感じのタイプだ。滲み出るのだ。(以下イメージ図)

もちろんこの手↑のタイプはハラスメントに遭うこともないし、運悪く謎のキレられ方をした場合でも、0.5秒後には復活していたりする。大事なことなのでもう一度言う。0.5秒だ。

自己肯定感皆無のこちらからすれば、生物が違うという感覚で。あぁなりたかったとは思うものの、世界線が異なりすぎて想像すらできない。想像は無料なのに、だ。(以下、自己肯定感皆無で苦しむワイイメージ図)

しかしニートの訓練期間を経て、今までは「両親や家族」に支配されていた肉体や精神が、ごく少量ずつ自分のものになりつつある体感がある。全部を自分のものにするのはまだまだ年数がかかるし、そもそもそれができるかどうかは謎だけれど。

これまでは家族で問題が浮上すると(というか問題がないときがないけれど)、そのことで頭がいっぱいになり、自分のことがどうでもよくなるというか、考えられるCPUがゼロになる。でも最近は、家族に問題が浮上したとしても「自分はどのように未来を描いていきたいのか」について思考が戻るようになった。明らかに自分が「いる」「ある」体感なのだ。

何かしらの条件がそろう夜中などに「あぁ…自分ってもしかして生きていていいのかも…し……れないいいぃ!」と思えるときが稀に出てきたのだが、あの脳が爆発するほどの高揚といったらないなと思う。

逆に言えば、自己肯定感さえ育めれば人生はこれほどにイージーなのかとすら思う。どういう条件で発動するのか謎なのだが、眠りに落ちる直前くらいにご褒美的にまれにやってくる「アレ」が私は嬉しくてたまらないし、初見すぎて驚愕する。

そのぐらい「自分は生きていてはだめだ」と思うことはきっとしんどい。だから次は「自分の思う良い企業」にきっと入社するんだろうけれど、入社するとかしないとか、金があるとかないとか、何者であるとかないとか、そんなどうでもいい軽微な条件に自分を委ねず、自分の価値は自分で決めたい。この地獄での経験を松明に未来を照らして。

 

過食の果てとダイエット

体重推移

ここ最近、断捨離というほどでもないかもしれないが、とにかく物を捨てまくっている。紙が嫌いだ。何かの勉強をするとき以外は紙は使いたくない。ということで紙も捨てまくっている。

さて、断捨離の中で過去在籍してた企業での数々の健康診断結果を見つけて目を疑った。ほんまかと思った。

この数年、著しく巨大化した自覚症状はあった。ストレスから夜眠れなくなったことや、眠れないっていうか夜中3:00とかまで仕事をする日が続いてたことや、夜中に食べることが増えたことや、ルーティンだったジョギングをやらなくなったことや、過食をやめられなくなったことや…。まぁ全部やろって気がするけど、これらが起因して見事に驚くほど巨体が仕上がった。

健康診断結果を集めると、どうやらこのたった3年で22キログラム太ったらしかった。巨大化したなとは思っていたがここまで短期間に増えたとは…。

10代の頃にズブズブの鬱に罹患したことがあった(2年ほどで寛解。再発なし) 親や家庭環境が大きく影響しているようだった。17で家出してた私にカウンセラーや医師は「根本原因を排除しないとここまで悪化した鬱は治らない」などと言って、私に実家へ帰ることを何度も勧めた。

バカ言えと思った。あんな牢獄に戻るくらいなら死んだって1人で生きてくぞと固く決意していた。だから今の医療基準だと絶対NGなガバガバな量の薬を処方されるがままに飲み、レジ打ちのバイトを何個も掛け持ちしてなんのために稼いでるのかわからなくなりながらなんとか生きていた。

当時拒食だったので、医師は太らせようとして(…というか死なれたら困るので太らすのが一般的な治療スタイルなのだが) 過食の副作用がある薬を処方し続け私もそれを飲み続けた。当時、家の近くにミスドがあり、踏切を渡って酸化して安くなったミスドを大量に買い占めては胃につっこみ、短く儚い幸福感を得たりしていた。

その頃は2年たたずして30キログラムは太ったと記憶している。こりゃやばいと思い止める医師を無視して断薬し(急な断薬はおすすめできない)、当時流行っていたビリー隊長のもとへ入隊し、1年で25キログラムほど減量に成功しヘルシーな身体を手に入れたのだった。

ルッキズムとくそ童貞ちんぽこ野郎

つまり、ここまで巨大化したのはあれ以来で、やばい薬も飲んでいないのにここまで巨大化したことに心底驚いているのだが、大きくなってしまったものは受け入れるしかしょうがない。

よかったなと思ったのは、人間しんどいとどのように過食して辛くなっていくのか?ということを身をもって理解できたことだろうか。「ルッキズム」という言葉は最近浸透し始めた体感だが、あれは本当によくなくて、自分の管理外に痩せたり太ったりしていくことの辛さがわからない幸せな人間が、人の痛みを想像できずに息を吐くようにして誰かの外見についてとやかく言うものだという理解だ。

腐れ縁というか、高校の頃に知り合って最近やっと縁を切れた謎の知人がいた。そいつは昔から何かとうざくて「人の痛みの想像できない人間の極地」みたいな人で、毎回私がブチギレてLINEやFacebook等々のツールでブロックをするのだけど「携帯変えました」とか色々な抜け道を探して一定期間ごとにケロっと連絡してくるので、気持ち悪いを通り越して逆にここまで“変な人“って稀有だから付き合い続けたらおもろいんちゃうか?…という常におもろさを探してしまう関西人の悪い癖が出てしまい「腐れ縁枠」として一応人付き合いを続けてみたのだが、どうにもやっぱり無理だった。

私のこの巨大化に対しても「昔は広末みたいやったのにな…デブになってしまって…笑」みたいなことを、私が精一杯出す嫌悪感を一切無視して何度も言ってくる頭の狂い具合で。まず、広末を出してくるあたりがめちゃくちゃキモい。おっさんだからしょうがないのだけれど…とおばさんがいうのだけれど(底辺VS底辺!果てなき戦いが今ここに)、高校時代からずっと思ってたけどお前絶対童貞やろ?!このくそ童貞ちんぽこ野郎が!…と喉まで出かかるも、私は品行方正なのでグッと堪えて言わなかった。偉いのだ。

まぁとにかく、そのようにして外見を執拗にいじる人間は一定数存在して、そういう輩にうんざりしながら、良いリトマス試験紙だなとも思い外見の変容はそういう角度でいえば非常に便利だった。そして何より、過食の辛さについて知見が溜まってよかった。(もう味わいたくはない)

静寂のエニタイムフィットネス

太ると体も脳みそも重くて仕方がなくなるし、こりゃそろそろ痩せないとなという意識が芽生え「痩せたいな」という願望が出てくるまでに精神が回復してきたので、ここ1ヶ月くらいはエニタイムフィットネスに通って8キログラムくらい落とした。(あと12は落としたい)

約1年ほどだろうか。ほぼ通っていないエニタイムフィットネスに課金し続けた。痩せなきゃという気持ちはあったので契約したものの過食をやめられなくて通わない日々を過ごしていたのだが、ここで解約したらきっと一生痩せずにタプタプの状態で介護士の方々にご迷惑をおかけしながら巨体を介護してもらう未来像が見えていたので、意地でも解約しないぞという謎の精神状態で課金し続けていた。

この1ヶ月やっとエニタイムフィットネスにかなりの頻度で通えるようになり、エニタイムフィットネスの素晴らしさに気づいた。

まずみんな実直に自分のトレーニングをしていて素晴らしい。ムキムキの人はデブデブの私がトレーニングしにきても、軽蔑の目で見つめてくるとかもないし(や、めちゃくちゃ深くキャップを被って狭い視界でトレーニングしてるので、もしかしたら軽蔑の目で見られてるかもしれないがw)、みんな他人には目もくれず黙々と「自分のすべきこと」をしている。これが非常に気持ちいいのだ。

心理的安全性などという言葉がGoogleを発端に一人歩きしてるが、真の心理的安全性とはエニタイムフィットネスのことなのだよ。

真夜中のエニタイムフィットネス

エニタイムフィットネスはなんと言っても24時間やっているのがいい。どれほど家でうなだれていても「私にはエニタイムフィットネスがあるんやぞ!」という強い気持ちになる。それだけで安眠できる(行けよ)。

つい先日も「もう自分なんてダメだぁぁぁぁああああーーーーー」…な精神サイクルに入ったのだが、溶けそうなほどうなだれながらなんとかエニタイムフィットネスへ辿り着き、数キロ走って軽く筋トレしたら恐ろしく精神が保たれた。脳みそから快楽物質が出るのを如実に感じる。そして夜中に流石に誰もいないだろうと踏んで行ったら、しっかりとムキムキマンらがトレーニングしてて、なんだか神聖さすら感じるなどした。運動は偉大だ。

自分になる

親の呪縛というものがある。これから逃れようとして逃れられないと感じてる人も多いのではないだろうか。私もそのひとりで、その経緯はおいおい書きたいのだが、中年になってさらに「親の呪縛が脳内で暴発する」感覚があって、どうしたものかと途方に暮れぎみだった。

自分の体のようで自分のものじゃない。自分の精神のようで自分の精神ではない。こんな感覚、常人にはわからないだろうなと思う。しかし仲のいい友人らは似た人が多く、似た感覚を持っているようなので、やはり親との関係性に幼少期から問題があるとどうやらこんな感覚になるらしいという情報だけが私をなんとか安堵させていた。仲間や共感の安堵でしばらく現実から目をそらすことはできても、生きづらさを消すことはできなかった。

私は今ニートをしている。労働という暴走列車から飛び降り自分と向き合うためだ。

非常にしんどい作業だが、今まで目を向けてこなかった「自分」というものに初めて目を向けることができ、自分はいったいどういう生物なのかが少しずつわかり始めている。親や家族ではなく「自分」のことを考える時間が増えたことで、誰のためでもなく自分のために人生の選択をしよう。とか、自分が心地いいと思えることをしよう。とか、そういうことを思えるようになった。生まれて初めてのことだ。ちょっとずつ、自分に体や性質が自分のものになっていく感覚が嬉しい。

そして神聖なエニタイムフィットネス様のおかげで、自分の体もやっと自分のものだと思えるようになってきた。これでもうちょい軽くなればもう少し自分の体を愛せるかもしれない。そんなことを思う昼下がり。ケーキがうまい。