姪の綺麗な笑顔

ミライに残せるもの的なもの

兄弟と会って姉夫婦の家に一泊した帰り道、東急東横線の車内でこれを書いている。小林大吾の“ダイヤモンド鉱”を聴きながら(https://youtu.be/jITZWF0X_74?si=kMbtiO3gsAFcphn5)

21歳差の姪がいる。現在は中学校2年生だ。社会は使い捨てるように年々どこかが悪くなっている体感がある。こんな社会で、私よりも21年分悪くなった社会に生まれて、未来を生きていかねばならない絶望を片手に生きていこうとする彼女の勇姿に、私はどうしても心が震えずにいられなくなる。

どうしようもない気持ちを車両いっぱいに詰めながら、形容できない種類の憂鬱さと反比例するように刻々と煌びやかになってゆく車窓を眺めながら渋谷へ向かう。

彼女へ「私はあなたをとても愛してる」と全力で伝えて抱きしめるには憚られるほどの年齢で、けれど何かしらの希望や伝わりやすい程度の愛情を与えられるようにと努めているが、今のところ届いている気配はない。

彼女自身や、彼女自身が生きていかなければならないこの社会に、私は少々でもなにが残せるだろうか。鬱々としがちな最近を過ごしていたが、彼女のために何かができないかという強い気持ちとエゴが、会う前よりも私を少しだけ強くさせる。また受け取るばかりだという情けなさと、今後彼女が抱えるものを考えると呆然としながら、東急東横線内でこれを書いている。

折り目正しい部屋

井戸に落ちた時は話よりもロープを垂らすほうが先だ。

小林大吾は言う。

姉は離婚している。子供は男女1人ずつの2名で、1人は前の旦那との子供(=姪)で。種が違おうと腹が違おうと、私にとっては最愛の姪と甥だし、あなたたちは文句なしに尊いというのは一切揺るがない事実なのだが、姪からすれば両親の離婚と新しい父と家族になることや新しい父と母との間に甥ができたことなど、数々の「大人側の事情」で変わってしまった環境は、とても受け入れ難いに違いない。

そして姉は離婚前後というか、姪が生まれてからずっとストレスフルな状態に見えた。それは前夫からのモラハラが要因の1つだったようにも思う。第三者の目から見れば、それは虐待なのではないかという言動も見受けられた。姉はある時「娘に手を出してしまった」と泣いていた。きっとそれは初回だったのだろう。私もかける言葉がなく無力だった。しかし姉の「手出し」は常態化していった。

彼女(姪)は綺麗に笑う。私は綺麗に笑う人の綺麗さの危うさを知っている。頼むからもっと泣いたり怒ったりしっかり絶望したりして、そんな綺麗に笑わないでくれと切実に願うのだけど、その笑顔の綺麗さが完成してしまっていることを考えると、彼女に必要なことは、彼女からSOSが出た時に全力で支えになってあげることだと思い、いつでも支えてあげるからと常に気持ちは臨戦態勢でいるのだけれど、それすら傲慢な自慰行為なのかもしれないとも思ったりする。

昨日は姉の家に予期せず宿泊することになり、姪が嬉しそうに飼っているハムスターのモカちゃんを見せてくれた。姪の部屋に行くと、どこにも指摘しようがないレベルに整理整頓されていて、まるでプロの「整理整頓コンサルタント」的な人間がやったかのような、ショールームのようなその部屋の綺麗さと姪の綺麗な笑いかたが重なって、私は言葉を失くした。

ここまで折り目正しく作られた部屋の背景に、いったいどれほどの痛みや絶望があるのだろうと思うと、どんな言葉も力にならないなと思った。

姉の家は全体的にとんでもなく散らかっていた。それは姉や(新しい)姉の夫の疲弊具合をあらわしているようにも見えた。思わず帰り際に、姪や甥の寝室を掃除したレベルには汚かった。

そんな家の中で唯一、不自然なほどに姪の部屋だけ折り目正しく綺麗で、それは私にはとてつもなく異様なことに思えた。この部屋だけ時間が止まっているような、時間を止めたいという彼女の必至の抵抗のような、そんなふうに思えてならなくて、必死に「モカちゃんかわいいね」と言って誤魔化したりした。彼女の部屋には自分で選んだ言葉だという「七転び八起き」の習字が飾られていた。

子供たちの絶望

現存する子供たちの絶望を集めたら、その絶望の総量はどのぐらいだろうと思いを馳せることがよくある。かくいう私も子供時代に散々絶望してなんとか生きてきた側だからだ。「トー横キッズ」などとキャッチーな言葉ができた昨今だが、あれ系のニュースを私は苦しくて直視できない。

私は事実としてただただラッキーだっただけで、少しアンラッキーだったら今頃、東京湾にコンクリで沈んでいたりするだろうという確信めいたものがあるからだ。

人生に目標なんていらない。私はそう断言したい。「生きている」ただそれだけが尊く、生物の競争に勝っていると思うからだ。

眠りに落ちる直前、姪と少し話した。なるべくラフに違和感の少ない話の流れで「人生楽しい?」と聞いたら「まったく」とつぶらな瞳ではっきりと彼女は回答した。そっか〜と軽く受け流し「でもこれから何にでもなれるね!」と明るく振る舞うと彼女は続けてこう言った。「年齢なんてとりたくない。こんな社会にいいことなんてない。できたら小学校1年生くらいに戻って人生やり直したい」と。

私は驚きを悟られぬようヘラヘラするのに必死だった。小学校1年生といえば、彼女の両親(姉)が離婚した頃だ。離婚に至るまでに、姉と姉の元旦那は激しく喧嘩を繰り返すのが日常で、最終的に離婚に着地をした。きっとあのことが人格形成の重要時期でもある彼女に深く傷を残したことは容易に想像がついた。そして私自身も加害者である自覚症状があった。

子供の目の前で両親が喧嘩をすることは虐待に値するという認識が社会的に広がりつつあるのは最近のことだろう。海外ではそれを見せぬようにと、親の語調が強くなった時点で、第三者が子供を別の場所に隔離するなどが一般的であって、「目の前で大人が言い争うことはいけないこと」という認識はモラルとして備わっている人が多いように思う。

内容は忘れてしまったが、忘れられない情景がある。もともと姉と仲が良くなかったこともあり日常のように実家で姉と言い合っていた。どうしても許せなかったように記憶している。ある日姉を言い負かそうと争っていると、僅か4歳の小さな姪が私と姉の間に割って入って「もうやめてヨォ!」と何度も何度も訴えた。

私は当時、頭に血が上りすぎていて、本当に恥ずべきことだが、僅か4歳の姪が間に入ったことで我に返った。小さくキュートな彼女は傷ついたそぶりすら一切見せず、気丈に綺麗に笑ってみせた。そう、彼女は生まれてからずっと気丈に綺麗に笑い続けているのだ。

その出来事を私は絶対忘れてはいけないと思っている。私は虐待の加害者だという明確な自覚症状と負い目がある。あのことをどれほど彼女が覚えてるかとか、それ以上に夫婦間で言い争いが日常に起こっていたかどうかとか、そんなことはどうだってよくて一切関係のないことだ。

ロープを下ろし続けるということ

姪のことがこれほどずっと心配なのは、形容できぬほどかわいいというのは前提としてあるにしても、自分が加害した過去から逃げたいがための自慰行為かもしれないとわかっていつつ、加害への背徳感だってなんだっていいから、私は彼女の幸せな人生に責任を持とうと決めているからだ。過去は消せない。でも未来は変えられるし、彼女の未来を少しでも明るく変えてあげる義務が私にはあると思っている。

だからあなたはどれほど絶望したってSOSを出してもらって構わないのだよ。それをどうか覚えていてほしい。

寝る直前に彼女は喘息の発作が出ていたので私は慌てて薬を探した。すると彼女は「いいよいいよ」と言い慣れたふうに言って私を制止したけれど、私は「いいからいいから」と必死に薬を探した。いったいいつからあなたは、そんなに自分を後回しにすることに慣れてしまったのだ、とか、どのような環境に置かれ続けたら、それほど諦めるのが上手くなるのだと腹立たしさに似た気持ちを抱きながら、独自の嗅覚でなんとか薬を見つけると彼女は照れたように「ありがとう…」と言って薬を飲んで、治った咳とともに眠った。

うさぎ

最寄駅からの帰路で真っ白なうさぎを見つけた。

姉夫婦が離婚間際に行ったという動物園での写真を見せてもらったことがあった。そこには屈託のない笑顔の姪がうさぎをとても大事に撫でている様子が写っていた。

あなたはどうしてその逆境下で、動物を愛でることができるのだと心がギュッとする思いがして、私は巨大ウサギを見上げながら、またあなたのことを考えてギュっとしている。

あなたのことをこれほど思っている人間がいることを知っていてほしいと願いつつも、そんなの下手な自慰行為にもならぬのではないかと思いつつ。

小林大吾

憂いてないで 着替えておいで

と言っている。希望はある。

そう思ってていいでしょ?